長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3424 雨の日の日本人の衣装
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:3424 雨の日の日本人の衣装
目録番号:5295 大波止沿岸
〔画像解説〕
出島の西端から江戸町・大波止から大黒町方面を撮影した写真である。撮影年代は明治初期である。極めて鮮明な写真である。目録番号3237(整理番号66-18)の写真とほぼ同じ角度から撮影しているが、江戸町の海岸線により接近した写真になっている。出島の石垣と江戸町護岸の間に水路があるが、この水路が江戸時代から出島と本土を隔絶していた水路である。明治18年(1885)から始まる長崎港改修事業では、約18m出島側が掘削されて、ここが中島川の河口になる所である。対岸の石垣は、長崎市街の西端の沿岸部分である。長崎市街地の背骨にあたる長崎県庁のある丘の西側の沿岸部は、江戸時代以来埋め立てにより、土地を拡大してきた場所である。従って、沿岸部は、写真のように石垣で護岸を形作っている。さらに、海に面した屋敷は、海から出入りできるよう、個人の波止場を持っている。沿岸の中央付近に端正な石積み護岸があり、街灯が並んでいるが、ここが大波止である。
■ 確認結果
目録番号:3424「雨の日の日本人の衣装」は、次の目録番号:5295「大波止沿岸」が同じような光景を写しており、背景の立山や金比羅山の山並みから、撮影地域は長崎となる。
目録番号:5295「大波止沿岸」の超高精細画像の解説どおり、出島の西端から江戸町・大波止から大黒町方面を撮影した写真であろう。
現在の写真は、鍋冠山山頂からの同方面の展望。