長崎外の古写真考 目録番号:3100 鶴岡八幡宮(7) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3100 鶴岡八幡宮(7) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3100 鶴岡八幡宮(7)
〔画像解説〕
鶴岡八幡宮には幕末までこのような塔が存在したが、当宮のものはこけら葺か檜皮葺(ひわだぶき)で屋根の勾配はもっと強く、高欄(こうらん)もない。足廻りも違っており、この写真は八幡宮の建物ではない。写真家集「スチルフリート」所収。撮影年代未詳。

目録番号: 541 摩耶山天上寺(1)
〔画像解説〕
摩耶夫人を祀った弘法大師ゆかりの天上寺は、別名摩耶寺とも呼ばれ、同寺が位置する摩耶山の名もそこから起こったものである。写真は同寺境内の堂。

■ 確認結果

目録番号:3100「鶴岡八幡宮(7)」は、タイトル「鶴岡八幡宮」としながら、画像解説では「この写真は八幡宮の建物ではない」と判定している。
目録番号: 541「摩耶山天上寺(1)」と同じ古写真が、ブログ「絵はがきワールド」に掲載されていた。1〜2枚目は寺名の説明がないが、この「摩耶山天上寺」と、立地や木立など全体的な感じは最も合う。

「摂津摩耶山忉利天上寺多宝塔」は、サイト「がらくた置場」by s_minaga に詳しい研究がある。同解説は次のとおり。 http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/sos_mayasan.htm
昭和30年頃:摂津摩耶山多宝塔14:下図拡大図「摩耶山 MT.MAYA 総天然色八枚組」も同サイトから。目録番号:3100「鶴岡八幡宮(7)」の撮影者は、「日下部金兵衛」が考えられるから、同寺を訪ねた作品を参考に載せる。

摩耶山中腹にあり、仏母摩耶山忉利天上寺と号する。寺伝では大化2年(646)、孝徳天皇の勅願により、法道仙人が開創したという。その後、弘法大師が唐から摩耶婦人像を持ち帰り、天上寺に奉安したとも伝える。現在は高野山真言宗。
昭和51年(1976)多宝塔をはじめ伽藍を全焼。賽銭泥棒の失火という。

この項は、目録番号:2032「神社の境内(2)」の次も参照。
https://misakimichi.com/archives/2225
この多宝塔は大津市「石山寺」と推定したが、神戸市灘区「摩耶山天上寺」の可能性もある。