大瀬戸町・西海町・西彼町などに残る「佐世保軍港境域標」

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大瀬戸町・西海町・西彼町などに残る「佐世保軍港境域標」

西海市西海町・西彼町に残る陸軍省「長崎要塞地帯(区域)標」の所在について、前の記事とした。高橋輝吉氏に案内してもらったのは、ついでに別の海軍省「佐世保軍港境域標」である。
高橋氏は、佐世保を中心とした長崎県北・佐賀県を主に、全国の同標石類を15年以上にわたって調査されている。ここでは佐世保軍港に関する西彼杵半島及び近くの境域標のみ載せる。地元でもその所在はほとんど知られておらず、郷土誌に記載はない。
高橋氏が「佐世保軍港境域ノ件」資料地図をもとに、丹念に踏査して見つけたものである。小佐々町の海岸には、まだ多数残っているそうである。

① 大瀬戸町外多以良郷 高帆山西下の海岸 (佐世保軍港境域標 第202号)

境域地図に「オノ鼻」で表示されている。境域線が大島・蠣浦島(崎戸)間の海峡に伸びるため、この地点を探し出したそうだ。柳ノ浜海水浴場手前の大ムクノキ説明板のある坂道を登る。「←金比羅山」(高帆山)標識の分岐で上の道へ入ると、高帆山裏側の山腹を行く。舗装の切れた終点から5分ほど山道を下ると海岸へ出る。左方70m位に大きな岩の鼻がある。これが「オノ鼻」だろう。標石はすぐ手前の雑木林内にある。
刻面は、「佐世保軍港境域標」「第二〇二号」「海軍省」「明治四十五年三月十五日」

② 西海町七釜郷 七釜公民館上の畑端 (佐世保軍港境域標 番号不明)

境域地図にない地点である。七釜バス停近くの七釜公民館後ろ側石段を登って行く。上の畑角に標石らしい角石が見える。ここは前公民館があった土地で、建物の礎石とされていたらしい。立ててみると、番号は削られてわからない。境域が改正されたか、どこか近辺海岸にあった標石を運んできていると思われる。
刻面は、「佐世保軍港境域標」「第(番号不明)号」「海軍省」「明治四十五年三月十五日」

③ 西彼町小迎郷 西海橋下の伊ノ浦台場跡先の海岸 (佐世保軍港境域標 第138号)

境域地図に「針尾瀬戸」で表示されている。西海橋を渡る手前にある「伊ノ浦台場跡」史跡案内板から下の針尾瀬戸海岸に遊歩道を降りる。台場跡の右側に釣り用か踏み跡があり、100mほどたどって行くと、道下に標石がある。海岸に倒れてあったものを、高橋氏が数年前見つけ、立て直したそうである。
刻面は、「佐世保軍港境域標」「第一三八号」「海軍省」「明治三十五年十一月四日」

④ 佐世保市針尾中町 小鯛海岸右手の崎 (佐世保軍港境域標 第128号)

境域地図に「小鯛」で表示されている。西海橋を渡って針尾島へ入り、古里交差点から左折、針尾無線塔の後ろまで広い道路ができている。「小鯛」集落入口の標識があり、小鯛漁港まで出て、右方へ海岸沿いの里道を100mほど行く。里道は上に上がるが、真直ぐな小道へそのまま進むと、奥にフェンスがある。地元の名医福田病院跡の駐車場と庭跡で、先は海岸。中へ入ると奥の石垣下に標石がある。
刻面は、「佐世保軍港境域標」「第一二八号」「海軍省」「明治三十五年十一月四日」

⑤は、参考のため。佐世保市の隠居岳から宇土越へ下る登山道途中で見られる佐世保軍港境域標(第298号)。2008年6月山歩きした時に写していた。
ここの標石は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/987
刻面は、「佐世保軍港境域標」「第二九八号」「海軍省」「昭和五年十月八日」