砲痕石  国史跡高島秋帆別邸跡

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砲 痕 石  国史跡高島秋帆別邸跡

長崎市東小島町、国史跡高島秋帆別邸跡内にある。岩永弘氏著「長崎周辺”石・岩・陰陽石”」2002年新春刊10頁の説明は次のとおり。

天保9年(1838)高島秋帆は、万才町の本宅が大火で類焼したので、小島郷(東小島町)の別宅に移った。庭園内に演習場を設け、砲術の指南を行った。大砲の的として使った石の砲弾の痕があり、砲痕石として保存されている。平成年度以前は裂けていなかったような記憶がある。経年か?。そばにあった説明板に次のように書いてある。

この砲痕石のある射的場は、もとは上部も側面も石で囲んだ石室状のものであったが、明治33年(1900)ごろ当時の所有者が、この石材を利用して雪見灯籠をつくった。このとき向こう正面だけ残したのが、この砲痕石といわれている。