長崎の古写真考 目録番号:5642 崇福寺竜宮門遠景 ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5642 崇福寺竜宮門遠景 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:5642 崇福寺竜宮門遠景     関連作品 目録番号:6130 同(2)
〔画像解説〕 
大光寺の境内から崇福寺の山門の竜宮門を望んでいる。崇福寺は、寛永19年(1642)に当時在留していた中国・福建出身者が創建した黄檗宗の寺院である。その山門は寛文13年(1673)単層の八脚門形式で建てられたが、嘉永2年(1849)の再建時に今日の竜宮門形式となった。日本人棟梁・大串五郎平の作。石と瓦の練積みに漆喰塗り。重要文化財。

■ 確認結果

長崎新聞を読んでいなかったため知らなかったが、本年1月から”龍馬動く”の企画として、長崎大学附属図書館協力「長崎遠めがね 古写真に見る町と人」が掲載されている。
2010年3月28日のシリーズ<10>は、“■崇福寺竜宮門遠景■  日本人棟梁が建立”
長崎新聞HPにあり参照。http://www.nagasaki-np.co.jp/press/ryoumaugoku/kikaku6/10.shtml

目録番号:5642「崇福寺竜宮門遠景」の古写真で、データベース上の画像解説は上記のとおり。隣りの大光寺境内から撮影された作品だろう。
新聞記事では、「大光寺」が「光寺」となっている。新聞社の間違いと思われる。そのままHPに載せているのはどうだろうか。

崇福寺の竜宮門は、「崇福寺三門(楼門)」の名称により国指定重要文化財となっている。「三門」の意味は、現地説明板のとおりであるので、データベース上とも解説に配慮をお願いしたい。
末尾の写真が現在の大光寺と、同寺鐘楼から見た崇福寺の竜宮門。高いビルが建ち、古写真どおりの景色を写せない。

(追 記)他の用件あり、6月15日長崎新聞社へ電話し、「光寺」は「大光寺」に修正された。HP上だけの入力間違いだった。