長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:5752 寺の御堂二棟
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:5752 寺の御堂二棟
■ 確認結果
目録番号:5752「寺の御堂二棟」は、京都市左京区若王子町の「若王子神社」と思われる。
「寺の御堂二棟」を同じように写した古写真が2枚目のとおり、京都府立総合資料館所蔵資料データベース「京都北山アーカイブズ」の矢野家写真資料明治頃の京都および近郊の名所等 I に作品43「若王寺」で収録されている。 http://www.pref.kyoto.jp/archives
わたしの青秀庵HP ◎名所旧跡めぐりによる神社の説明は次のとおり。現在の写真も同から。
若王子(にゃくおうじ)神社
「哲学の道」の南の起点となる若王子橋の近くにあるのが若王子神社。正しくは熊野若王子神社という。東大路丸太町の北西角の熊野神社、東大路七条を南へ5分ほどの所にある新熊野(いまくまのと読む)神社の二社と共に、京都三熊野の一社である。
若王子神社は祭神として、天照大神、伊佐那岐(いざなぎ)命、伊佐那美(いざなみ)命、国常立(くにとこたち)命が祀られていて、天照大神の異名「若一王子」からとった社名である。
神社は“若王子さん”と呼ばれ、縁結びの神様として若い人達に人気で、お参り帰りに哲学の道を散策されている。また境内末社の恵比須社で祀られている恵比須大神は、かっては西洞院中御門(椹木町)あたりの蛭子社で祀られていたが、応仁の乱で神だけ残し焼失、その後この若王子で祀られるようになったとか。蛭子社の傍を恵比須川が流れていたが、現在では“夷川通り”の名だけが残っている。勿論、この恵比須社へは開運・商売繁盛を祈願する人のお参りがある。
若王子神社は、永暦元年(1160)、後白河法皇が紀州の熊野権現を永観堂禅林寺の守護神として分霊を迎えられ祈願所とされ、禅林寺新熊野社・若王寺と呼ばれたこともある。室町時代には、足利尊氏、義政などが境内で花見の宴を催したという記録がもある。その後、明治初年の神仏分離によって独立した。
なお、この神社の御神木「椰(なぎ)」の葉で作られたお守りは、あらゆる悩みをナギ倒すとして人気だそうです。