長崎外の古写真考 目録番号:3477 寺の境内(9)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3477 寺の境内(9)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3477 寺の境内(9)

目録番号:1021 築地西本願寺本堂
〔画像解説〕
浄土真宗本願寺派別院。山号は三縁山。家康の帰依を受け、将軍家の菩提所となる。手前から堂を見上げている人物がひとり。

■ 確認結果

目録番号:3477「寺の境内(9)」は、目録番号:1021「築地西本願寺本堂」にあるとおり、本堂右側に写る青銅ないし陶器製の灯籠と松の木が同じであるため、東京都中央区築地の「築地西本願寺本堂」と思われる。
「写真の中の明治・大正 国立国会図書館写真帳から」にも、「築地西本願寺」の古写真があり、山門内部に同灯籠が写っている。現在の写真は、西新橋通信HPの名所旧跡から。同説明は次のとおり。

築地本願寺     古代インドに出会う
東京メトロの駅貼りポスターに載っていた寺のイラストがずっと頭の中に残っていた。築地本願寺という有名な寺で、場所は地下鉄日比谷線築地駅のすぐそば。当社のクライアントからも徒歩
10分ほどで行ける距離であり、ちょっと足を伸ばしてみた。
門をくぐると、まるで西方の古代遺跡にでも紛れ込んだような錯覚を覚えた。そこには、石造りの重厚で荘厳な建物がそびえていた。内部は外観とはかなり異なる趣だったが、今まで持っていた寺のイメージとは異質の不思議な世界が広がっており、未知の文化に触れるような緊張感が何とも心地よかった。この建物は古代インド様式の寺院建築で、東京帝国大学工学部の伊東忠太教授が設計し、昭和9年(1934)に完成したものだそうだが、格式ある寺が、このような建築を決断したこと自体が大きな驚きだ。
ところで、もともと本願寺は鎌倉時代、親鸞が広めた浄土真宗の寺で、最初にできたのが京都の本願寺。江戸時代になって本願寺が東西に別れ、東本願寺ができてから西本願寺と呼ばれるようになったが、単に本願寺といえばこの西本願寺をさす。築地本願寺はその西本願寺の別院として江戸時代に建立され、今日に至っている。一方、浅草本願寺は最初、京都の東本願寺の別院であったが、紆余曲折を経て、現在は浄土真宗の中でも別の宗派の寺となっているとのことだ。ややこしい。