長崎外の古写真考 目録番号: 26 鎌倉の大釣鐘

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 26 鎌倉の大釣鐘

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 26 鎌倉の大釣鐘
〔画像解説〕
建長寺の大釣鐘か。建長寺は臨済宗建長寺派の大本山で鎌倉五山のなかで首位に位置する。執権北条時頼は深く禅宗に帰依し、建長元年(1249)に本寺の建立を企画し、同5年に完成した。鐘は鐘楼外門にある。

目録番号:4247 知恩院大釣鐘(5)  関連作品が目録番号:2581 同(1)ほか(6)まであり。
〔画像解説〕
知恩院大釣鐘を鐘楼西側から東に望む。知恩院大釣鐘は吉水の鐘とも呼ばれ、寛永13年(1636)に三条釜座によって鋳造された日本最大の銅鐘である。高さ5.4m、口径2.7m、厚さ29cm、重量約7.5t(約2万貫)である。

■ 確認結果

目録番号: 26「鎌倉の大釣鐘」は、目録番号:4247「知恩院大釣鐘(5)」などにあるとおり、京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院「知恩院」の大釣鐘である。
現在の写真は、ゆんフリー写真素材「梵鐘」から。同説明は次のとおり。

知恩院の大鐘楼です。1636年鋳造の高さ3.3メートル、口径2.8メートル、重さ約70トンの釣鐘です。ここでの大晦日の除夜の鐘は17人で撞く大規模なもので、日本では有名です。知恩院(ちおんいん)は浄土宗総本山の寺院で、開基(創立者)は法然です。江戸時代には京都における徳川家の拠点とする目的から大規模な伽藍が建立されました。