長崎外の古写真考 目録番号:1312 谷川の丸木橋

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:1312 谷川の丸木橋

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:1312 谷川の丸木橋
〔画像解説〕
場所を特定する手掛かりはない。谷川にかかった丸木橋をすげ笠をかぶり、裾を端折った人物が杖を頼りに渡っている。

目録番号:2996 箱根山中の木橋
〔画像解説〕
箱根山中には大小様々な河川があるが、主な川は早川と須雲川 である。この写真がどちらかは微妙であるが、川幅や石の形等から、須雲川の方ではないかと推測する。丸太を渡したような木橋は、堂ヶ島や木賀の写真で早川に架かったものなどが見られるが、この写真とは風景が異なる。

■ 確認結果

目録番号:1312「谷川の丸木橋」は、目録番号:2996「箱根山中の木橋」と同じ写真である。撮影場所は、箱根山中の「須雲川」に架かった橋ではないかと推測されている。

悠々人氏HP「旧東海道五十三次 ぶらり徒歩の旅 (19)箱根湯本〜畑宿」から、須雲川を渡る「旧東海道」図と、現在新設された須雲川自然探勝歩道にできている「仮設木橋」写真を参考のため載せる。この木橋が古写真の場所というわけではない。同氏の記録は次のとおり。

鎖雲禅寺  霊泉山鎖雲寺は早雲寺の塔頭の一つとして湯本に創建されたが、東海道の賑わいに合わせ、寛永7年(1630年)にここ須雲川村に移されたとのこと。この鎖雲寺を出ると須雲川に架かる須雲橋となる。この橋を渡ると、女転がしの坂となる。橋の左袂に「女転がし坂登り1町余」と掘られた石碑がある。
須雲川自然探勝歩道  乗馬の女性がこの坂で落馬したことから女転がしの坂と呼ばれるようになった。しかし、関東大震災の時、崩落してしまいその坂は今は無い。 須雲橋の手前を川沿いに須雲川自然探勝歩道が出来ている。舗装された県道を歩くのは面白くないので、この自然探勝歩道の道を選んだ。入口の道標に畑宿まで1700m、元箱根まで6200mと書いてあった。
須雲川渓谷  樹間より須雲川渓谷が見え、なかなか快適な歩道となっている。旧東海道はこうであったろうという感じの道である。…なおさら快適な山歩きをしている感じであった。
須雲川仮設木橋  途中で、須雲川を渡る所がある。ちゃんとした橋が出来ているわけではなく、丸太で出来た梯子状の橋が渓谷の岩と岩の上に掛けてある。手前から坂を下り、この丸木橋を渡って対岸に行くようになっている。手前に大きく「あぶない、増水時注意」との警告板がある。対岸に渡ると、急な坂を上り、県道に出る。この坂の途中が一部旧東海道になっている。
割石坂石畳道  自然歩道より県道に戻り横断すると「割石坂(わりいしさか)登り1町余」と掘られた石の道標がある。ここからまた暫くは旧街道歩きとなる。案内板に、曽我五郎が冨士の裾野に仇討ちに向かう途中、ここで腰の大刀の切れ味を試そうと、路傍の巨石を真っ二つに切り割ったところと書かれている。