長崎外の古写真考 目録番号:2057 寺の山門(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2057 寺の山門(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
整理番号46番台の一連の作品を見ている。

目録番号:2057 寺の山門(2)
〔画像解説〕
場所は特定できないが、東京のあるお寺の山門。境内の内側から写したものだが、山門の下には数人の人物の姿が見える。

目録番号:4902 石山寺仁王門
〔画像解説〕
石山寺境内の入口に、瀬田川に向かって建つ東大門の様子。東寺真言宗大本山石山寺は、縁起では天平19年(747)聖武天皇の命により、良弁(ろうべん)が開いたといい、天平宝字5年(761)に伽藍が整備された。平安時代後期には貴族の女性らに信仰され、後には西国三十三所観音霊場の第13番札所として庶民の信仰をあつめた。東大門は、建久元年(1190)の建築といわれるが、淀君による本堂礼堂の再建時に新築に等しい大改造が行なわれている。この門前は、現在では公園整備され、参詣客向けの土産物やレストランが立ち並んでいる。写真右の手前にある建物の場所は、現在では公園になっているが、陳列台らしきものが見えることから、土産物を販売していたのかもしれない。

■ 確認結果

目録番号:2057「寺の山門(2)」は、「撮影地域:東京」。画像解説では「場所は特定できないが、東京のあるお寺の山門。…」としている。この山門は、滋賀県大津市にある有名な「石山寺の東大門」。国重要文化財の建物である。

次の目録番号:4902「石山寺仁王門」と造りを比べてもらいたい。門の中央に吊り下げられている物も同じであろう。目録番号:2057「寺の山門(2)」は、石山寺の東大門をくぐって「境内の内側から写したもの」に間違いないと思われる。

現在の写真は、瀬田川流域観光協会HPから。同説明は次のとおり。内側から写した写真も「現身日和(うつせみびより)」にあった。
石山寺(いしやまでら)
西国三十三所観音霊場の第13番札所。奈良時代後期に、聖武天皇の発願により、良弁によって開かれました。広大な境内には、寺名の由来となった天然記念物の硅灰石(けいかいせき)がそびえ、国宝の本堂・多宝塔を始め漢書、仏像、絵巻など多くの国宝、重要文化財があります。