蚊焼字庚申ノ元にある庚申塚

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蚊焼字庚申ノ元にある庚申塚

三和町「三和町郷土誌」昭和61年刊、207頁原田博二氏稿「第二編 町の成り立ち」中の記述は次のとおり。

庚申ノ元は、”こうしんのもと”と読み、庚申会とか庚申塚と呼ばれた信仰が実際にこの地でおこなわれたことがうかがえる。昔は庚申塚(塔)なども建てられていたものであろう。庚申会(庚申待)は、平安時代に伝えられた中国の守庚申に由来するもので、中世から近世とさかんに信仰され、その範囲はほぼ全国に及んでいた。この庚申(かのえさる)の夜は、帝釈天や猿田彦神などを祀って、誰しもが床につくことなく、徹夜して夜のあけるのを待ったという。というのは、この日就寝すると、身体に巣くう三尸(さんし)という虫が体内からぬけでて、その罪科を天帝に告げるためとか、三尸が人の寿命を短くするためとか信じられたためであった。

上記は三和町の地名に「古代や中世のものと思われる字名が現在も多く残っている」とし、一例で「庚申ノ元」の字名も簡単な説明をおこなった文である。「女男岩」の字名の岩とともに、この「庚申塚」も探してみた。
それらしきもの?が写真のとおりあった。場所は蚊焼入口から前焼却場に行く車道が、地蔵寺からの車道と合流する少し手前の右脇木立内。字「庚申ノ元」区域内の東端となる。

三和町郷土誌の「蚊焼の石祠一覧」では、「晃神塚 石祠 天明元年丑(一七八一) 施主 喜宗汰 場所 宮ノ脇」としてある。この石祠は、浦里宇喜男さんの「三和町内地名のルーツ その14」では、次のように紹介されていた。
ただし、石祠の字は「早」の字の中央縦線が上に突き出ているその「神」だ。右の石塔は○の下に梵字のようなマークあり、経塔と思われる。

…また、宮の脇の庚申塚は、町道蚊焼川原線と同支線の交差する三叉路の小高い丘の雑木林の中にあり”申様(か?)”と刻まれた石碑が立っている。
当時の地域振興のシンボルとして、高比良義男氏宅の猿地蔵とともに、この「庚申ノ元」の字名の残る山林の中に当時の姿のままらしくに残っていることに感動した次第である。…