長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 708 小島の風景 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号: 708 小島の風景
〔画像解説〕
場所は不明。石垣上に腰掛けた髷を結った男が向こうに見える小島を指差している。いかにも演出されたポーズである。また画面上方をふさぐように伸びる樹木の構成は、日本画的構図の発想であろう。
目録番号:4084 高鉾島(28)
〔画像解説〕
横浜の玉村康三郎作と思われる、黒漆象牙象嵌蒔絵大型アルバムの中の1枚でキャプションはない。目録番号2922(整理番号59-13)と同じアングルを少し左にずれて撮影したもの。人物背後の台地にまだ人家が建っていないので、この方が古い。アルバムに収載されている他の写真から判断して、撮影時期は明治20年代前半頃。場所は長崎港の稲佐側突端にあたる神ノ島(現神ノ島町2丁目)である。目録番号2922の写真では人物左下の石垣上は畑になっているが、この写真では土がむき出しになっている。外国船は高鉾島の外側から長崎港に入港したので、神ノ島は、承応3年(1653)、文化5-9年(1808-12)に港内に築かれた、外国船打ち払いのための台場の候補にはならなかったが、警備上重要な岬であり船着場は良く整備されていたようである。下の屋根の建物は目録番号2922でも見える。江戸時代、この一帯は隠れキリシタンが住み着き、神ノ島の地名もそれに由来する。現在、岬の突端にマリア観音が築造されている。
目録番号: 696 稲佐のイサバ船と弁財船(1)
目録番号: 993 稲佐のイサバ船と弁財船(2)
■ 確認結果
まず、目録番号: 708「小島の風景」の画像解説は、「場所は不明」としている。7000点近くある長崎大学古写真データベースの全作品を私がいちいち確認することはできない。
この作品は「撮影地域:未詳」なので、撮影地域が「長崎」で検索しても出てこない。キーワードが「眺望/海」なので、撮影対象をいずれかで検索すると、「撮影地域:未詳」の作品も出てくる。大学側の未整理が今、わかった。場所が特定できない「撮影地域:未詳」の作品こそ、大学側も調べる必要があり、データベースの検索項目に追加するよう改善してほしい。
この作品は、神の島教会の高台から、長崎港口の「高鉾島」を望んだ写真である。データベースに同じ構図の写真は多くあるのに、なぜ気付かないのだろうか。目録番号:4084「高鉾島(38)」玉村康三郎アルバム(1)とまったく同一写真である。
タイトルを「小島の風景」としながら、キーワードが「眺望」では漠然とし、多数の作品が出てくる。「島/海」にすべきだろう。目録番号:4084 の解説にある「神の島」の由来も、神功皇后が立ち寄った島という意味ではないか。
この項の関連作品記事は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1688
次に、目録番号: 696「稲佐のイサバ船と弁財船(1)」と、目録番号: 993「稲佐のイサバ船と弁財船(2)」は、キーワードがなぜ「和船/川」となるのだろう。ほかの稲佐崎海岸の和船を写した作品と合わせ、「和船/海/港(ないし運搬)」にすべきだろう。
画像解説では「長崎稲佐海岸」と説明しながら、キーワードが「川」とはならない。タイトルを変えた時点でも、キーワードには気を付けてもらいたい。
この項の関連作品記事は次を参照。 http://blogs.yahoo.co.jp/misakimichi/48304537.htm