長崎の古写真考 目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:1196 飽の浦からの長崎港(3)

目録番号:5314 長崎製鉄所(1)    画像解説は、岩場に関係ないので省略。

■ 確認結果

朝日新聞の2010年(平成22年)1月21日付長崎地域版「長崎今昔 長大写真コレクション」に載った”長崎港のパノラマ 優美さ まるで浮世絵”、及び2010年(平成22年)1月28日付”長崎港のパノラマ 特定難しい撮影時期”。
三菱重工(株)長崎造船所史料館に展示している4枚組全景の写真を参考のため掲げた。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2192

この長崎港パノラマ写真は、飽の浦恵美須神社の神殿裏が斜め左に写っている。海岸を向いた神殿の右上に大松が生えた小高い岩場の広場があり、2人の人物が港を眺めている。目録番号:1196「飽の浦からの長崎港(3)」が岩場の写真となる。
朝日新聞は1月23日付記事により、「撮影した場所はいずれも、現在の三菱重工業長崎造船所史料館近くの高台(飽の浦町の西日本菱重興産本社付近)です」と解説した。撮影場所は、私も1年前に調査し「菱重興産ビル 第ニ別館」あたりのかつての岩場と記事にしている。 
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1589

その時はデータベースにまだ公開されていなかったと思われ、私は参考としなかったが、最近のデータベースを見ると、この岩場を飽の浦側から展望している古写真があるのがわかった。
それが、目録番号:5314「長崎製鉄所(1)」である。現在の塩浜町の少し高台から撮影しているようだ。当時の長崎製鉄所はもちろん、飽の浦恵美須神社近くの岩場の位置と様子を写した貴重な写真となる。

岩場付近を見やすくするため拡大した。生えた松の大木の格好から判断すると、拡大写真の中央が岩場、右斜め下が飽の浦恵美須神社となることがわかるであろう。
この写真は、内田九一の「西国・九州巡幸写真」になく、上野彦馬の後年の撮影(年代未詳)と思われる。

ところで、目録番号:1196「飽の浦からの長崎港(3)」の右にくる写真。長崎大学データベースでは見当たらないが、次の写真集に詳しくあった。
石黒敬章氏著「続幕末・明治のおもしろ写真」平凡社1998年初版第1刷37頁に掲載されている。同解説は次のとおり。

屋形船の不思議
〔写真15〕飽の浦より写した長崎港。横浜写真アルバムでよく見られる。4枚続きの右2枚。右が長崎造船所。4枚並べると、左に恵比(美が正)須神社が写っている。これまでの本では上野彦馬撮影とされている。しかし彦馬の写真は横浜写真では見かけないこと、霞会館所蔵の明治天皇御巡行(幸が正)の時撮影された一連の写真にあることなどから、内田九一の撮影と思われる。