長崎の古写真考 目録番号:6053 禅林寺の鐘楼堂と鎮守堂 ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6053 禅林寺の鐘楼堂と鎮守堂 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6053 禅林寺の鐘楼堂と鎮守堂

目録番号:5329 深崇寺鐘楼堂(1)   関連作品 目録番号:6663 同(2)

〔画像解説〕
上野彦馬アルバム所載の1葉。深崇寺は、元和元年(1615)に創立されたという浄土真宗本願寺派の寺院である。画面右手の建物は山門の右側、庫裏に面して建つ鼓楼で、これの創建年代は不詳だが、写真に写るのは文化5年(1808)に再建されたというものであろう。重層の入母屋造で、下層は袴腰に出入口を一箇所設け、上層は四面とも白壁に花頭窓を穿っている。この建物はその後、明治20年(1887)に再建されたというが、現存する建物も窓が一部埋められていることなどを除けば、基本的に同形式を保っている。
他方、画面左手は単層、切り妻造の鐘楼である。この建物は、元禄の頃に創建され、寛政12年と安政6年(1859)、さらに下って大正6年に改築されたという。しかし現在は、鐘楼はずっと左へ移築され、鼓楼とのあいだには4区画の墓地が形成されている。その中で最も古い墓石の銘には「明治十一年(1878)八月卒」とあるので、撮影はそれ以前とみられる。

■ 確認結果

同じ建物と配置なのに、寺町の龍馬通り入口を挟んだ「禅林寺」と「深崇寺」に解説が分かれている。現在残っている鼓楼から、「深崇寺」が正しいだろう。
「禅林寺」とする古写真は、長崎大学附属図書館企画・編集「長崎大学コレクション 明治7年の古写真集 長崎・熊本・鹿児島」長崎文献社刊2007年初版の25頁に掲載がある。
同解説は次のとおり。

17 禅林寺の鐘楼堂と鎮守堂   274×213
寺町の禅林寺境内の鐘楼と鎮守堂越しに立山方面を望んでいる。背景には諏訪神社の長坂を確認できる。本堂前の左側にあたる鐘楼堂は宝永2年(1705)に建立され、文化13年(1816)に改築されている。木造・本瓦葺・切妻造。宝永2年(1705)に奉納された梵鐘には漢詩が鋳込まれ、製作者安山弥兵衛、藤原国久の銘がきされていた。

同じコレクション内にあるのに突き合わせされていない。目録番号順から言っても「禅林寺」とするのは解せない。現地確認を願いたい。
背景中央のは諏訪神社の長坂である。左端にある大きな屋根の寺は解説がないが、明治45年三菱長崎造船所に炉粕町の寺地を売却、鳴滝1丁目に移転した「高林寺」と思われる。したがって立山方面ではなく、西山方面を望んだと説明した方が良い。
この古写真集の解説も疑問が多い。1月2日開館した「長崎まちなか龍馬館」で売られ、古書店でもまだ新刊扱いだった。内容を再検証してほしい。