朝日選書  40P写真  11 中央の橋は「長久橋」か「万(よろず)橋」か

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朝日選書  40P写真  11 中央の橋は「長久橋」か「万(よろず)橋」か

長崎大学附属図書館所蔵「幕末・明治期日本古写真」の中から、厳選した古写真が解説をつけて、2007年6月から朝日新聞長崎版に毎週「長崎今昔」と題して掲載されている。
2009年12月発行された朝日選書862「龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港」(朝日新聞出版)は、これまでの掲載分を元に編集し直した本である。
本書による古写真解説で、撮影場所の説明など疑問とする点をあらためて述べておきたい。

朝日選書の40P写真「11 新大橋から中島川上流を望む」(幕末・明治期日本古写真データベース 目録番号:5881「中島川河口(2)」と同作品)の、私の前の記事は次のとおり。
https://misakimichi.com/archives/2146
朝日選書の39P解説記事によると、「中央に見える木橋は長久橋。…この写真は中島川の河口に架けられた新大橋の上にカメラを据えて撮影されています」に間違いないようである。

幕末・明治期日本古写真データベースには、目録番号:4030で「中島川河口(1)」があり、同解説は次のとおり。これが説明している「大橋」は、「新大橋」でなく「銕橋」(くろがねばし。通称てつばし)だろう。そうでないと「この写真の橋は、大橋の下流に架かる長久橋ということになる」とならない。わかりにくい解説と思われる。

中央の山は三つ山、その手前左側に金比羅山、右側が健山(たてやま)と烽火山の稜線である。右側に旧西浜町、左側は築町である。横浜で発行された写真付き新聞”The Far East”の明治4年(1871)5月1日号に同じアングルの写真が掲載されており、それにも同じ木橋が写っている。仮に、この写真の橋が中島川河口の大橋ならば、大橋は明治元年(1868)8月、長崎地方裁判所参議井上聞多の監督指導のもと、本木昌造が製鉄の橋に架替えており、”The Far East”に掲載された橋と異なるため、この写真の橋は、大橋の下流に架かる長久橋ということになる。長久橋は、寛永年間に島原城主松倉豊後守重政が最初に架設し、豊後橋と呼ばれた。寛文12年(1672)博多屋清右衛門が架け替え、長久橋と改称された。以後、架け替えが重ねられ、中島川変流工事に際し、明治22年(1889)プラットトラス形式の橋に改め、昭和5年(1930)鉄筋コンクリート橋に変わった。

ところで、目録番号:4030「中島川河口(1)」や、目録番号:5881「中島川河口(2)」と同じような光景で、中島川河口を撮影した古写真が、データベースでは見つけきれないが、長崎大学附属図書館に所蔵されているのではないだろうか。
まず1点は5枚目。長崎であいの会ウェブサイト「中島川グリット」石橋に関するコラムに出てくる古写真。 http://nagasaki.n-grit.com/  川に浮かぶ船の数が違う。同会のは写真出所が明らかでないが、次のとおり「明治後期 万橋(よろずばし)」と解説している。

浜の町の入口?
鉄橋から万橋を望む。昔から長崎で一番歩行者の通行量の多いところ。写真の時代も鉄橋の賑わいはそうとうなものだったに違いない。今の風景にかさねて想像すると楽しい。右は浜市アーケード入口へ、路面電車も走っている。左は仕事帰りの人が立ち並ぶ中央橋のバス停。
今も昔もかわらないのは遠くに見える山の稜線。金比羅山と健山の間にかすかに帆場岳(三つ山)が見える。

次の2点は6枚目。長崎市教育委員会編「長崎古写真集 居留地編」平成15年刊第3版の129P図ー4 居留地建設と橋の架設。写真・15「出島新橋・新大橋・梅香崎橋」(長崎大学附属図書館)とある。
この古写真には「長久橋」は写っていないが、右側「新大橋」の上は、明治22年に築町に完成した十八国立銀行社屋だろう。その右端に写る2階建木造家屋。白く塗った屋根に特徴がある。

目録番号:4030「中島川河口(1)」や、目録番号:5881「中島川河口(2)」の左端に写る家屋と同じ建物と認められる。対岸の右側の建物も同じであろう。したがって、「中島川グリット」が説明する「明治後期 万橋(よろずばし)」とはならないと思われる。
中島川は上流を見ると、万橋手前から北東に湾曲し、万橋は川の斜めに架かっている。下流の鉄橋から真直ぐに写すとするなら、背景の山は変るだろう。
古写真の背景の山並み、右から烽火山から健山、奥の帆場岳(三つ山)、諏訪神社の森と金比羅山の尾根(東尾根。いわゆる立山ではない)の重なりを、両橋で比較するとはっきりした結論が言えるが、高いビルが林立した中心繁華街。山並みは橋から写せず、満足な確認はできない。