朝日選書 201P写真 89 大浦バンドの洋館群
長崎大学附属図書館所蔵「幕末・明治期日本古写真」の中から、厳選した古写真が解説をつけて、2007年6月から朝日新聞長崎版に毎週「長崎今昔」と題して掲載されている。
2009年12月発行された朝日選書862「龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港」(朝日新聞出版)は、これまでの掲載分を元に編集し直した本である。
本書による古写真解説で、撮影場所の説明など疑問とする点をあらためて述べておきたい。
朝日選書 201P写真 89 大浦バンドの洋館群
手前からアメリカのウォルシュ商会、同ケイス商会。イギリスのグラバー商会、同マルトビー商会。背後は鍋冠山。大浦天主堂の尖塔が見える。
上野彦馬撮影、1874年、鶏卵紙、27.1×21.2、『上野彦馬冨重利平合同アルバム』
〔解説記事 199P〕 欧米の商社が立ち並ぶ最盛期の大浦バンド
豪華な洋館が軒を並べる最盛期の大浦海岸通り「バンド」です(写真89)。海に突き出した波止場から撮影されています。写真原板は1874年、アメリカ海軍大尉R・E・カーモディが軍艦アシュロットに乗ってアジアを周航したときに入手した写真アルバムに収載されています。
手書きのメモは英語で「アメリカ海軍のお店」と読めます。左端の和風白壁の大浦3番館には、領事でもあったアメリカ人ジョン・ウォルシュの商会が入居し、隣の大きなベランダ付き洋館の4番館ではアメリカのケイス商会が開業していました。長崎港に入港したアメリカ艦隊の水夫たちは、バンドから居留地に上陸し、このアメリカ海軍御用達の店で買物を楽しんだようです。
中央にある、れんが造りで修道院のような5番館には、1870年に倒産したグラバー商会が入っていました。グラバーに資金を調達して回収不能となったオランダ商事会社は、78年に建物を競売にかけます。
その奥のベランダが突き出た大きな6番館では、ロンドンからやってきたサミュエルとジョン兄弟がマルトビー商会が開業し、茶の輸出などを手がけていました。1880〜1941年にはイギリス領事館が入居するのですが、1908年に建て替わった赤れんがの建物は長崎市児童科学館、長崎市野口彌太郎記念美術館を経て、現在整備中です。
5、6番館は、坂本龍馬が長崎を訪問した1865年ごろに撮影されたボードインの写真(本書には収録していない)では建築中でしたが、この写真では立派に完成しています。
後方には、大浦天主堂の尖塔がわずかにのぞいています。
路上に人物がみえないのはシャッタースピードが遅かったためで、動くものは消えています。
■確認結果
幕末・明治期日本古写真データベース 目録番号:6058 「大浦海岸通りの洋館群」 撮影者:上野彦馬 撮影地域:長崎 年代:年代未詳 の古写真。
朝日選書の写真下解説「背後は鍋冠山。大浦天主堂の尖塔が見える」、解説記事「後方には、大浦天主堂の尖塔がわずかにのぞいています」が、私たちには見えない。
データベース 目録番号:6058 の原画を確認すると、はっきり写っているのに、朝日選書200頁と201頁のちょうど綴じ目となったためである。編集の際、配慮がほしかった。
古写真の撮影場所は、出島からも考えられるが、大学データベース資料「長崎居留地の敷分割 1868年(慶応3年)」図から、解説記事にあるとおり大浦海岸通りの梅香崎側「海に突き出した波止場から撮影されています」のに間違いないようだ。