朝日選書 124P写真  51 ねずみ島のピクニック

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朝日選書 124P写真  51 ねずみ島のピクニック

長崎大学附属図書館所蔵「幕末・明治期日本古写真」の中から、厳選した古写真が解説をつけて、2007年6月から朝日新聞長崎版に毎週「長崎今昔」と題して掲載されている。
2009年12月発行された朝日選書862「龍馬が見た長崎 古写真が語る幕末開港」(朝日新聞出版)は、これまでの掲載分を元に編集し直した本である。
本書による古写真解説で、撮影場所の説明など疑問とする点をあらためて述べておきたい。

朝日選書 124P写真  51 ねずみ島のピクニック

長崎在留外国人の郊外ピクニックで、背後に乗ってきた船のマストが見える。中央に寝そべるグラバーはライフルを持ち、警護のサムライも交わる。着飾った子供や女性もいる。
ベアト撮影、1866年ごろ、鶏卵紙、29.3×19.1

〔解説記事 122P〕  ねずみ島のピクニック
長崎港口のねずみ島で撮影された居留地に住む外国人のピクニックの記念写真です(写真
51)。このとき長崎に滞在中で、たまたま同行したベアトが撮影しました。背後には乗ってきた船のマストが写されています。
1854年9月7日、日英和親条約を結ぶために長崎に入港したジェイムズ・スターリング提督率いるイギリスの東洋艦隊は水夫の休養のためみずみ島上陸を要求し、長崎奉行荒尾成充はこれを許可しました。10月14日には長崎で日英和親条約が締結されています。イギリス領事は1859年以来、5月24日のヴィクトリア女王の誕生日を記念して居留地のヨーロッパ人をピクニックに誘うことを恒例としていましたが、この写真は1866年のピクニックのようです。
中央で寝そべるトーマス・グラバーのひざの上にライフル銃が見えます。その右後ろに座るのがアントニウス・ボードイン博士です。弟でオランダ領事をしていたアルバート・ボードインは後方の右に立っている口ひげの人物です。このとき長崎の居留地に住んでいた大部分の人たちがこれに参加したのではないでしょうか。
ちょんまげ顔の日本人は警護のサムライですが、記念写真では集団のなかにうち解けています。攘夷をとなえる「テロリスト」の外国人襲撃を警戒しながらの危険なピクニックでしたが、たくさんの女性や子供たちも交じり、楽しみな行事だったようです。

■確認結果

幕末・明治期日本古写真データベース 目録番号:6195 「ねずみ島のピクニック(1)」の作品。超高精細画像がなく「背後に乗ってきた船のマストが見える」が良く確認できないが、本の古写真には、たしかに背後に大きな船のマストが2本、かすかに写っている。

私の以前の記事は、次を参照。目録番号:3885 「外国人の野外パーティ(3)」(朝日選書108P 42 ヴィクトリア女王在位60年記念パーティ と同写真)などとともにふれている。
https://misakimichi.com/archives/1873

「ねずみ島」は安政年間から外国人の遊歩が認められていた島なので、これら古写真の撮影場所は「ねずみ島」に間違いないと思われる。背景の各島や山の姿から確認している。
神の島や神崎鼻では、外国人の遊歩規定がほとんど考慮されていないこととなる。
朝日選書は今回、42・51の作品とも「ねずみ島」として解説されたので、了とした。

ところで、幕末・明治期日本古写真データベースの超高精細画像解説の方。以前は撮影場所を「神の島」と解説していた。指摘により修正されたのは良いが、どうして「場所は後の高鉾島の角度から神崎鼻」と判断されたのだろう。
目録番号:3885 「外国人の野外パーティ(3)」などは、まだ「神崎鼻」のままとなっている。