三和町 今昔  (3) 川原大池、小池

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三和町 今昔  (3) 川原大池、小池

旧三和町文化協会写真クラブ編「三和町 今昔」(Part1)平成元年11月刊写真集の掲載古写真について、5点を抽出する。
これは、タイトル・撮影場所・説明など内容に疑問を持った古写真というわけではない。話題性がある古写真の、現地確認などの結果を報告する。

13頁  〔写真説明〕   大池、小池の航空写真

■確認結果

阿池姫の伝説にまつわる神秘性をもつ川原大池。入口が塞がれた海跡湖である。野母半島県立自然公園に属し、長崎県観光百選の地。航空写真は、昭和40年代の撮影と思われる。
ご覧のとおり、川原大池のそばに小池があった。水路はなかったが、地下では繋がっていたようである。小池のことは、ヘラブナ釣りで私も記憶がある。

小池はその後に埋め立てられ、永年、遊休地となっていた。平成16年(2004)、牟田尻地区の小池跡奥に、まず町営住宅(戸数20戸)が完成。同年、地盤が弱い小池跡には「三和記念公園」が建設された。中央にビオトークがある公園となっている。

昔の大池と小池の間は、軟弱な葦の原だったと思われる。明治時代の脇岬村路(往時の川原回り「みさき道」の経路と推定)は、そのため宮崎の集落からこの小池の北岸を通り、川原木場へ向かっていた。
現在、三和公民館ホール中庭に展示している「明治三十二年十一月建」道標は、もともと小池上の高濱村路との分岐に立っていた標石である。明治34年測図の国土地理院旧版地図を掲げる。この項は次も参照。 https://misakimichi.com/archives/23

最後の写真は、川原秋葉山神社の中腹農道途中から川原大池と小池跡の遠望。沖は天草。
川原大池は次の風景の項を。 https://misakimichi.com/archives/1719