三和町 今昔  (2) 宮崎海岸(川原海水浴場)

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三和町 今昔  (2) 宮崎海岸(川原海水浴場)

旧三和町文化協会写真クラブ編「三和町 今昔」(Part1)平成元年11月刊写真集の掲載古写真について、5点を抽出する。
これは、タイトル・撮影場所・説明など内容に疑問を持った古写真というわけではない。話題性がある古写真の、現地確認などの結果を報告する。

11頁  〔写真説明〕   宮崎海岸
宮崎の海岸には松の木が多かった。小学校の運動場が広くなる前は運動場から海岸までの間を松林と言っていた。その松も昭和40年ごろまでは1本か2本は残っていたのをおぼえています。
上 段:昔の宮崎海岸(川原海水浴場付近)    下 段:現在の宮崎海岸

■確認結果

川原海水浴場は阿池姫の伝説にまつわる神秘性をもつ川原大池と公園を有し、長崎県観光百選の地でもある。長崎市立川原小学校がそばにある。
町制施行50周年記念誌○長崎県三和町「さんわの足跡 1955−2004」平成16年11月刊の20頁に同古写真の掲載があり、上段の写真の撮影は「昭和20年代」となっている。
説明は次のとおり。

昭和25年川原海水浴場が開設され、これに伴い同年5月7日から長崎バスは1日14本がすべて川原発になりました。
昭和30年の町村合併の際には、休憩所(桟敷)8棟、店舗1店があり、川原観光協会事務所が開設。昭和41年ごろのシーズン行事として、7月1日に海開き、8月上旬には西瓜流し、中旬にはサザエ拾い、下旬には日焼けコンテストなどが行われていました。桟敷の料金は中学生以上1人100円、小人50円でした。

同足跡も現在の対比写真を掲載しているが、川原海水浴場の蛇紋岩円れき浜が砂にかぶり、施設が現在のように整備された年代は、年表を見ても特に記していない。