長崎市制120年のあゆみ展 (7) 蚊焼のメインストリート
長崎市制施行120周年記念「長崎市制120年のあゆみ」企画展は、4月に長崎県美術館(出島町)、5月に歴史民俗資料館(平野町)で開催された後、合併各地区を巡回し、11月17日三和地区で終了した。
古写真の展示が主。古写真の内容は会場によって変えている。そして、合併町独自の町を振り返る写真がある。たまたま見学した最終日の三和公民館会場の展示。タイトル・撮影場所・説明など内容に疑問を持った古写真の、現地確認などの結果を報告する。
〔写真説明〕 昭和20年代 蚊焼のメインストリート
(現蚊焼保育所附近)
■確認結果
昭和20年代、蚊焼のメインストリートの古写真。(現蚊焼保育所附近)という説明がまぎらわしい。撮影場所が現蚊焼保育所付近という意味で説明しており、写っている長屋根の建物の説明がない。
2枚目の古写真は、町制施行50周年記念誌○長崎県三和町「さんわの足跡 1955ー2004」25頁の掲載写真。この古写真の撮影場所から道を先へ進んで同じ建物を写した写真が1枚目の写真であろう。年代は「昭和20年代」で合う。
3枚目の古写真は、三和町文化協会写真クラブ編「三和町今昔 Part2」平成2年11月刊12頁の掲載写真。「学び舎 昭和30年ごろの蚊焼小学校」とある。中央に写った長屋根の建物が、1枚目及び2枚目と同じで建物であることが確認できる。
4枚目の古写真は、上段が今度は前集「三和町今昔 Part1」平成元年11月刊31頁の掲載写真。「昭和30年頃 蚊焼小校庭の人文字 カヤキ」とある。この年代は間違っているようである。下段の三和町「三和町郷土誌」昭和61年1月刊606頁の掲載写真には、同じ写真で「航空写真(昭和44年10月)」となっている。
郷土誌の蚊焼小学校沿革によると、「昭和34.3 危険校舎改築(2階建8教室)」とあり、これが人文字の上部に写っている白い校舎のようである。
航空写真を写した昭和44年10月当時も、白い校舎の左側に1枚目古写真と同じ長屋根の校舎(南校舎といい、昭和48年6月解体、7月に体育館が完成している)があったことがわかるであろう。
ところで1枚目古写真の撮影場所。蚊焼小学校へまだ近い感じがする。蚊焼保育所は現在地で昭和41年開所。その先に蚊焼地区公民館(役場蚊焼出張所と併用)が昭和51年3月建った。撮影場所は同公民館前あたりと思われる。小学校との間に三和郵便局が昭和49年新築移転している。小川が流れ、川沿いの道が左右に通じている。
したがって、写真説明は「昭和20年代 蚊焼のメインストリート。蚊焼小学校の通り 長屋根建物は旧木造南校舎」とした方がわかりやすいと思われる。