長崎市制120年のあゆみ展 (8) 蚊焼 波戸への道
長崎市制施行120周年記念「長崎市制120年のあゆみ」企画展は、4月に長崎県美術館(出島町)、5月に歴史民俗資料館(平野町)で開催された後、合併各地区を巡回し、11月17日三和地区で終了した。
古写真の展示が主。古写真の内容は会場によって変えている。そして、合併町独自の町を振り返る写真がある。たまたま見学した最終日の三和公民館会場の展示。タイトル・撮影場所・説明など内容に疑問を持った古写真の、現地確認などの結果を報告する。
〔写真説明〕 蚊焼 波戸への道
蚊焼村時代は、江崎から波戸に行く道はまだなかった。
〔写真説明〕 現在の蚊焼波止への道 (平成15年10月)
■確認結果
地名は「三和町字図」を参照。現在写真のタイトルは、「波止」でなく「波戸」が正。
蚊焼小学校から蚊焼海岸通りに出て、左方奥が「波戸」集落。右方へ行くとすぐコミュニティバスの「江村」バス停がある。「江崎」とはあまり聞かないが、「江崎」と「村中」の自治会が合併し、「江村」となったそうである。
字図上では「村中」であるが、「江崎」とは蚊焼海岸通りの江村バス停あたりであろうか。
平成15年現在撮影の写真があり、高台へ行ってみた。バス停の傍にエノキの大木があり、桑原鍛冶工房先から坂段を上がると、波戸への道が良く望める。古写真に写るエノキはこんな大木になっている。現在写真は少し登り過ぎと感じられる。右を見ると小家海岸のすぐ上である。
波戸への海岸通り埋め立て、護岸、道路ができたのは、昭和46年からの蚊焼漁港改修事業のようである。(三和町郷土誌474頁)
波戸への道は、蚊焼村時代から集落内を通って、蚊焼大川を浜津橋や波戸橋を渡って行く道はあったと思われる。〔写真説明〕はわかりやすくするため、「昭和46年頃 江村から波戸へ行く海岸通りの車道はまだなかった」と説明して良いのではないか。