深堀の散策 (5)  長崎市深堀町1〜6丁目・大籠町

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深堀の散策 (5)  長崎市深堀町1〜6丁目・大籠町

長崎市の南部。市内でも唯一の城下町(城はなかったが、佐賀藩深堀領として深堀陣屋や武家屋敷があった)だった深堀。遥か縄文時代からの多彩な歴史・文化の歩みを示す貴重な遺跡や史跡が数多く残っている。
中尾正美編「郷土史深堀」昭和40年刊の第五部深堀史跡篇195〜212頁による説明は次のとおり。

写真  なし     (33)有 王 塚   略

写真  1〜  2  (34)遠見番所跡
現在はその跡はないが、今香焼への送電線鉄塔が建っている附近にあったと伝えられている。此処で香焼島の遠見台(円通寺の上の高い処)と連絡を取り異国船の出入を監視した。

写真  3〜  4  (35)煙 硝 庫 跡
旧藩時代の火薬庫で、其の位置は現在秋葉社附近の八幡神社の一の鳥居附近であったと伝えられている。

写真  5〜  9  (36)箱 式 石 棺(大籠町778の2)
大籠町に切石をもって築かれている。その築方から見て可なり古く、将来研究される価値あるものと思われる。
(大籠町バス停下の公民館から石段を下ると、小さな三浦神社(旭琴姫大明神)がある。新田神社より古く、端島の人が主に信仰した。旧社は現在の鳥居前の竹薮。ここに石棺があり30年ほど前、ある大学が一帯の発掘調査をした。石棺は並んで4基確認され、櫛・貝など出土した。現在は下に小屋ができ切土されているが、石棺の片側半分は残っている。近くの家の庭にある石が、蓋となっていた浜石の一部である。 大籠町西清氏の案内説明談)

写真 10〜 11   三浦神社近くにあるアコウとエノキの大木 

写真 12〜 17  (37)新 田 神 社(大籠町)
新田義興を祀る神社で、其の奉起の原因及時期はさだかでないが義興が矢口渡に誘殺されたので正平13年(1358年)で、それより100年位前に此の地に新田正久が居住していたと言われている。

写真 18〜 19   新田神社手前の地蔵堂。かつての分校跡地