長崎の古写真考 目録番号:4807 神崎鼻からの鼠島

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:4807 神崎鼻からの鼠島

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:4807 神崎鼻からの鼠島
〔画像解説〕  超高精細画像のタイトル 「神ノ島からの鼠島(1)」
目録番号4806(整理番号95-5)と同じアルバムに収載され、B203 NEZUMIJIMA ENTER OF NAGASAKIと印字されている。これは神崎鼻付近から鼠島を撮影したもので、後方の島は神ノ島である。その左先端は目録番号4084(整理番号79-2)で写されているマリア観音前にあたる。撮影時期は外の収載写真から明治31年(1898)と判断される。海上にはイサバ船と小型汽帆船が見え、右側の小瀬戸の浜には石炭が貯炭されている。とすれば海上の船は高島炭鉱からの石炭運搬船のように思われる。戸町と同じくここからの石炭は長崎港の大型船舶に積み込まれたようである。鼠島の周囲は見られるようにきれいな海で、明治36年(1903)には水泳道場が開設され小堀流の泳法が教えられた。神崎鼻では5人が釣りをしている。船の船頭らしき人物は和服、手前の釣り人は脚半と菅笠、奥の外国人のような白い洋服を着た男性は山高帽で衣装は興味深い。奥の神ノ島および手前の鼠島の海峡は、現在埋め立てられ陸続きとなっている。

■ 確認結果

以前の画像解説は、鼠島(皇后島)の背後に神の島が写っているのに、タイトルが「神ノ島からの鼠島(1)」となっていた。指摘により「神崎鼻からの鼠島」となったが、超高精細画像のタイトルの方が、まだそのまま「神ノ島からの鼠島(1)」となって訂正されていない。
この関係は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1552

画像説明にある「右側の小瀬戸の浜には石炭が貯炭されている。とすれば海上の船は高島炭鉱からの石炭運搬船のように思われる。戸町と同じくここからの石炭は長崎港の大型船舶に積み込まれたようである」はあまり聞くような話ではない。当時の大型汽船への石炭積み込みの状況を詳しく説明してほしい。
神崎鼻では「5人が釣りをしている」も、「3人」しか確認できないし、1人は船頭ではないか。