長崎の古写真考 目録番号:5125 長崎本町中央公設市場

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5125 長崎本町中央公設市場

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:5125 長崎本町中央公設市場

■ 確認結果

長崎市中央卸売市場HPによる市場歴史の説明は次のとおり。古写真に撮影されているのは、この記事にある「大正8年から大正11年にかけて、長崎市本下町(現在:築町)をはじめ数ヶ所に公設小売市場が開設された」という「本下町」の公設小売市場である。
したがって、絵葉書のタイトルからは町名を正しくし「長崎市営本下町中央公設市場」が正となる。

長崎市における市場のおいたち
第一次世界大戦(大正3年〜大正8年)以来、経済界の変動は、諸物価の騰貴により消費生活を脅かすに至ったので、需給機関の運用によって緩和を図るため、全国的に公設市場が開設された。長崎市においても、大正8年から大正11年にかけて、長崎市本下町(現在:築町)をはじめ数ヶ所に公設小売市場が開設された。
また、公設卸売市場の施策については、品位価格の安定機関を設ける必要性が生じたため、大正9年10月に公設卸売市場の建設工事を起こし、翌10年3月5日、総工費32,804円・面積733坪で問屋業者43店舗を収容し、長崎市築町(現在:銅座町)に開設した。…

現在、本下町(現在:築町)の建物は改築され、近代的な5階建ビル「ながさき市民生活便利館 メルカつきまち」となっているが、地下1階に長崎市の公設小売市場はまだ現存する。
公設卸売市場は、築町(現在:銅座町)から尾上町の旧魚市場跡、そして昭和50年には田中町へ移転し、長崎市をはじめ周辺市町にわたり、青果物の安定供給及び広域流通をめざした長崎市中央卸売市場に発展している。

なお、HP「絵葉書・古写真にみる長崎の町並み(市場・天主堂・旅館・ホテル等)」に同じ市場の絵葉書が掲載されている。他の1点は「HINA066■長崎本下町市営公設市場(大正9年)」とあるのに、これは「HINA067■長崎市営本町中央公設市場(大正末)」である。
絵葉書のタイトルが下にあり、「本町」と間違っている。撮影年代は「大正末」となるのか。
http://www.asocie.jp/archives/nagasaki/nagasaki2/index.html