「ふるさと長崎市」の古写真考 P.73 聖福寺付近から見た長崎市街(明治中期)
長崎市制施行120周年記念写真集「ふるさと長崎市」(長野県松本市(株)郷土出版社2008年12月刊)に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、掲載順は不同である。
懐かしき風景・街並み P.73 聖福寺付近から見た長崎市街(明治中期)
〔写真説明〕
現在のJR長崎駅近くの聖福寺付近から長崎の市街を撮影したもので、写真の中央付近が現在の万才町、右側が長崎県庁、その右が出島、その上の丘が東山手、さらに中心の上の丘が旧大徳寺である。(提供:宮脇○○氏)
■ 確認結果
P.75「聖福寺付近から長崎港と市街を望む(明治20年代)」は、長崎港を写しているが、この写真は左方の長崎市街を写している。全体の様子を見ると、P.75と同じ日に同じ場所から写されたものではない。P.75の撮影場所が聖福寺の後山からでなく、福済寺の墓地からであったように、P.73のこの写真も、撮影場所は、福済寺のこれはすぐ後山の墓地からとなる。
現在、寺後ろの長崎さるく説明板「福済寺からの港風景」が設置されている場所の少し上段あたりとなる。古写真は参考のため、背景の星取山(前大平山)の奥にかすむ山の姿を拡大した。左から戸町岳、中央は熊ヶ峰、右は八郎岳への稜線となる。現在の写真と比べてもらいたい。
聖福寺付近からは最後の写真のとおり、特に戸町岳においてこのようにならない。聖福寺からは、大村藩蔵屋敷跡に建てられている中町教会が正面にこないのではないか。
東山手高台に写る海星学園修道院の白い建物の位置も確認してほしい。長崎県庁や出島は鍋冠山の右側となるので、古写真には実際は写っていない。古写真中央の一番手前は、福済寺山門の屋根のようにも考えられる。
長崎さるく説明板「福済寺からの港風景」は、次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/1576