「ふるさと」の古写真考 P.77 中島川の牡蠣舟(昭和28年)

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「ふるさと長崎市」の古写真考 P.77 中島川の牡蠣舟(昭和28年)

長崎市制施行120周年記念写真集「ふるさと長崎市」(長野県松本市(株)郷土出版社2008年12月刊)に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、掲載順は不同である。

懐かしき風景・街並み  P.77 中島川の牡蠣舟(昭和28年)
〔写真説明〕
背景の山の形、特に正面の秋葉山の形などから、現在の光永寺の前付近と思われる。かつて中島川には牡蠣舟が繋がれ、酔客に好評で、中島川の名物のひとつでもあった。(提供:長崎市)

■ 確認結果
HP「中島川石橋群 ~石橋歴史コラム~ (長崎中島川グリット/中島川流域委員会ウェブサイト)」の以下の記事を参照。 http://nagasaki.n-grit.com/ishibashi
かき舟の小料理屋については、昭和29年頃、堺屋修一氏が撮影された同じような写真があり、場所は中島川「袋橋」の下流脇にあった。

かき舟の小料理屋の背後に、よく見るとアーチ式石橋が写っている。これが眼鏡橋の1つ下流の橋「袋橋」である。正面の山は秋葉山でなく「武功山」であろう。写真右上に「井上クリーニング」の屋上看板が写っている。同クリーニング店は当時から現在も営業しているのを確認してきた。
最後の写真は、右岸側にある「袋橋」の旧親柱。橋下(2枚目の黄線内)には、昔の船つなぎ用纜石が珍しく残っている。

昔のまんま「袋橋」
昭和57年の長崎大水害にも耐えて現在もその秀麗な姿の袋橋。残された3橋のひとつだが眼鏡橋の存在のかげで少し地味な印象。写真は中通りから晧台寺、へいふり坂へと続く銀屋町の通りを写している。右側に御三家で有名な共楽園がある(現在は少し下流に移転、ビルとなって多くの来店者で賑わっている)。当時の写真はいかにもちゃんぽん屋の王道という感じの佇まい。時を超えてふわっと熱い湯気と香りが伝わってきそう。

かき舟の風景
袋橋の下流脇にかき舟の小料理屋があった。中島川の話題になると、このかき舟の風景を鮮烈に思い出すという人が多くいる。決って「子供やったけん入ったことはなか。」で話しは終ってしまう。この舟で宴を楽しんだ人達はかなりの高齢になられていると思われますが、ぜひお話しを伺いたいものである。左側では釣りをしている。当時は眼鏡橋のひとつ上流の魚市橋まで潮が上がってきていて、ここは汽水域でボラやドンポ(ハゼ類の総称)がよく釣れた。