東長崎の散策 (15) 戸石の風景・史跡  長崎市戸石町

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東長崎の散策 (15) 戸石の風景・史跡  長崎市戸石町

西彼杵郡矢上村、北高来郡古賀村と戸石村が合併して昭和30年2月11日に東長崎町が誕生。昭和38年(1963)4月20日に長崎市に編入された。長崎市の東端に位置する。
地勢は西、北、東の三方が200〜500mの山系によって囲まれる。標高450mの普賢岳、行仙岳を中心にほぼ馬蹄形に平坦部が開け、八郎川、戸石川が流れ橘湾にそそいでいる。対岸には牧島が天然の良港を成している。
矢上は長崎街道25宿のうち、長崎から数えて2番目の宿場町として栄えた。「植木の里」として有名な古賀は400年の歴史を誇る。

東長崎の散策(15)は、戸石の風景・史跡。上戸石町は次項へ。

島原街道の戸石馬頭観音、同一里塚(墳)跡、長崎市東公園内の東工場、コミュニティプール、コミュニティ体育館、吊橋牧島橋ができる前の毛屋の浦の渡し場、牧戸橋と戸石グランド、あやめ東幼稚園、同正門と園庭のアコウ、戸石漁港、漁港の戸石神社鳥居、戸石神社、長崎市戸石地区事務所・地区公民館、戸石の六地蔵塔(長崎市有形民俗文化財)、金毘羅神社鳥居の所の六地蔵塔、戸石の金山坑口跡、といし保育園、長崎市立戸石小学校

長崎学さるく織田先生作成資料による説明は次のとおり。

写真  1〜    戸石馬頭観音 施主 江の浦 田結 戸石 矢上文久2年(1862)3月吉日
写真  2     一里塚(墳)跡
写真 15〜    戸石の六地蔵塔(長崎市有形民俗文化財)
・六地蔵石幢(せきとう)〜石で造った旗・標識・幟のことで、石灯籠の火袋の所に六地蔵を刻んだものと思えばよい。
石の柱を立て、その上部に仏刻む〜単制。石の柱を支えとして、別に刻んだ石仏を載せる〜重制。その他に、六組型〜赤迫の六地蔵
・戸石の六地蔵は、重制の佐賀型六地蔵。上竿石に円・角・月形の彫り抜きがある。
・慶長9年(1604)の銘。九譽天心禅定門霊位 干時 慶長九天甲辰閏八月吉日
島原の乱(1637〜1638)後、この地に宝瑞庵が建てられたという。