東長崎の散策 (14) かき道の風景・史跡  長崎市かき道1〜6丁目

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東長崎の散策 (14) かき道の風景・史跡  長崎市かき道1〜6丁目

西彼杵郡矢上村、北高来郡古賀村と戸石村が合併して昭和30年2月11日に東長崎町が誕生。昭和38年(1963)4月20日に長崎市に編入された。長崎市の東端に位置する。
地勢は西、北、東の三方が200〜500mの山系によって囲まれる。標高450mの普賢岳、行仙岳を中心にほぼ馬蹄形に平坦部が開け、八郎川、戸石川が流れ橘湾にそそいでいる。対岸には牧島が天然の良港を成している。
矢上は長崎街道25宿のうち、長崎から数えて2番目の宿場町として栄えた。「植木の里」として有名な古賀は400年の歴史を誇る。

東長崎の散策(14)は、かき道の風景・史跡。長崎県住宅供給公社が開発した大型団地「矢上団地」ができている。

有料道路の矢上大橋と料金徴収所、八郎川の河口と突堤、蛎道公民館横の海岸埋築紀念碑、八大龍王神社の鳥居と祠、元八大龍王神社のムクノキ、昔の海岸恵美須、楠公神社の大楠、矢上団地近隣公園、同稲荷大明神の社叢林、スタジイの大木、矢上普賢岳の中腹から見た矢上団地と長崎市立橘小学校