東長崎の散策 (13) 東町の風景・史跡(矢上普賢岳) 長崎市東町
西彼杵郡矢上村、北高来郡古賀村と戸石村が合併して昭和30年2月11日に東長崎町が誕生。昭和38年(1963)4月20日に長崎市に編入された。長崎市の東端に位置する。
地勢は西、北、東の三方が200〜500mの山系によって囲まれる。標高450mの普賢岳、行仙岳を中心にほぼ馬蹄形に平坦部が開け、八郎川、戸石川が流れ橘湾にそそいでいる。対岸には牧島が天然の良港を成している。
矢上は長崎街道25宿のうち、長崎から数えて2番目の宿場町として栄えた。「植木の里」として有名な古賀は400年の歴史を誇る。
東長崎の散策(13)は、東町の風景・史跡(矢上普賢岳)。標高439m。
山頂まで1809段続く石段登りは有名。石段の奉献は昭和初期が多い。侍石の登山口から山頂まで1時間30分は要する。眼下に矢上、牧島、遠く天草、雲仙の眺望が良い。
矢上大橋入口から普賢岳を望む、侍石の普賢岳登山口、本来の参道鳥居、山道入口の「普賢道」標石、中腹から見た矢上団地、白龍神との分岐、白龍神の堂、同地の観音菩薩と龍神、普賢菩薩の由来碑、高く続く石段、石段の奉献石、普賢神社、本殿の内部、神社へは岩穴をくぐる、諫早八十八ヶ所第七十番札所、大岩壁の不動明王像、同白衣の観音像、観音岩場から望む牧島と矢上方面、普賢岳山頂、彩が丘団地の北西尾根登山口