東長崎の散策 (12) 東町の風景・史跡 長崎市東町
西彼杵郡矢上村、北高来郡古賀村と戸石村が合併して昭和30年2月11日に東長崎町が誕生。昭和38年(1963)4月20日に長崎市に編入された。長崎市の東端に位置する。
地勢は西、北、東の三方が200〜500mの山系によって囲まれる。標高450mの普賢岳、行仙岳を中心にほぼ馬蹄形に平坦部が開け、八郎川、戸石川が流れ橘湾にそそいでいる。対岸には牧島が天然の良港を成している。
矢上は長崎街道25宿のうち、長崎から数えて2番目の宿場町として栄えた。「植木の里」として有名な古賀は400年の歴史を誇る。
東長崎の散策(12)は、東町の風景・史跡。八郎川の東岸の町。長崎街道が通った。矢上普賢岳は次項へ。
長崎市矢上浄水場の取水口、藤尾の江戸道、矢上平野にあった明治県道の標石(移設)、役の行者、楠川渡瀬(楠渡瀬)、境界石標と台座石、現川焼関係瀬古の石祠石仏と同窯壁跡、彩が丘団地、多良見経ヶ岳、侍石7.23水害記念碑、侍石の由来石、侍石神社
長崎学さるく織田先生作成資料による説明は次のとおり。
写真 2〜 藤尾の江戸道 清水山と藤尾〜清藤地区
写真 5〜 役の行者 役の行者石像の伝説
写真 6〜 楠川渡瀬(楠渡瀬)
写真 8〜 境界石標と台座石 従是南佐嘉領台座石〜地伏石2個の上に石標が立つ
写真 18〜 侍石と侍石の地名 由来①平家の落人説〜大石に旅の疲れを休め〜侍石 ②島原の乱後大石の上で自決した〜その石が侍石
写真 19〜 山の神と侍石神社 延享元年(1744)正月28日 野口園右衛門