東長崎の散策 (16) 上戸石と川内の風景・史跡  長崎市上戸石町・川内町

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東長崎の散策 (16) 上戸石と川内の風景・史跡  長崎市上戸石町・川内町

西彼杵郡矢上村、北高来郡古賀村と戸石村が合併して昭和30年2月11日に東長崎町が誕生。昭和38年(1963)4月20日に長崎市に編入された。長崎市の東端に位置する。
地勢は西、北、東の三方が200〜500mの山系によって囲まれる。標高450mの普賢岳、行仙岳を中心にほぼ馬蹄形に平坦部が開け、八郎川、戸石川が流れ橘湾にそそいでいる。対岸には牧島が天然の良港を成している。
矢上は長崎街道25宿のうち、長崎から数えて2番目の宿場町として栄えた。「植木の里」として有名な古賀は400年の歴史を誇る。

東長崎の散策(16)は、上戸石と川内の風景・史跡。戸石町は前項に。

戸石と矢上境の石仏(矢上団地裏手)、パークタウンたちばな入口、第2矢上団地から見た戸石の渡瀬と戸石橋付近、戸石のお茶屋跡(諫早藩家老寺田外記寓居の地)、水害で何度も架け替えられた瀬戸橋、瀬戸の延命地蔵大菩薩と祠、川内神社の大杉と狛犬、長崎原子爆弾観測用ラジオゾンデ落下地点(黄線内の標柱)、戸石と田結境の尾根

長崎学さるく織田先生作成資料による説明は次のとおり。

写真  1〜    戸石と矢上境の石仏  天保5年(1834)5月吉日
写真  3〜    戸石の渡瀬と戸石橋
写真  4〜    戸石のお茶屋跡
写真  9〜    川内神社
・祭神 天照大御神 大己貴神 寛文4年(1664)疫病流行の時、危難退除の為建立
・大杉 幹周り5.17m、高さ30.0m。イロハカエデ 幹周り2.4m、高さ17.0m
写真 13〜    ラジオゾンデ落下地点(落下傘つき爆圧計測器)
・この計器は3個投下された。これによって、グァム島の米軍基地ではいち早く受信し、長崎市街上空における原爆の炸裂の成功を確認したといわれる。落下地点は、この地川内町と田結地区の補伽と江の浦地区の嵩である。