日見の散策 (3) 宿町の風景・史跡  長崎市宿町

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日見の散策 (3) 宿町の風景・史跡  長崎市宿町

長崎を旅立つ人は、「西の箱根」と云われた難所の日見峠を越した。諫早・矢上方面から長崎へ向かう人はこの地で身づくろいをして、長崎へ入った。長崎街道往来の重要な中継所であった長崎市の日見地区は、市街近郊の住宅地などに変貌しているが、現在も街道はトンネルに姿を変え、国道34号と長崎自動車道がこの地区を通り、長崎の中心へ入る交通の玄関口となっている。

日見の散策(3)は、宿町の風景・史跡。宿町は次の長崎街道日見宿跡などへ続く。

市営大曲住宅団地の遠望、大曲住宅外壁の龍、大曲交差点近くにある水準点、宿町第3アパート脇にある天領・佐賀藩領境界石標、日見腹切坂の由来説明板と慰霊碑、長崎河川国道工事事務所設置の説明板「日見峠道浪漫」、網場道入口にある県道34号野母・宿線道路元標、日見の中心通り、長崎総合科学大学シーサイドキャンパス、長崎ペンギン水族館と海浜公園、南氷洋調査捕鯨船のスクリューと錨

日見地区公民館編「日見の史蹟等」2005年8月刊の29〜32頁による説明は次のとおり。

写真  4〜    23 境界石柱
宿町第3アパート脇の路上(田中町と宿町の境)。碑文「(矢上側)従是北佐嘉領」 「(日見側)彼杵郡之内日見境」。天領と佐賀藩領との境界石柱である。高さ120m、巾25cm。
周辺地域は宅地造成のため様相や位置は少々変わったが国境を示す貴重な証である。

写真  7〜    24 腹切坂慰霊碑
…平成14年(2002)3月29日日見バイパス工事完了に伴い、日見腹切坂史跡保存会(会長松尾利之氏)の尽力で、当初の位置より下った別の場所になったが、国道脇の現在地に道路公園の一部として移転整備された。
骨は、火葬され西本願寺に納骨された。(骨の主は、骨格のしっかりした方であったそうです)

写真を追加。最後が本来の腹切坂とされる場所と山道にかかった薮の中に残る慰霊碑の基盤石。