日見の散策 (4) 宿町の風景・史跡  長崎市宿町

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日見の散策 (4) 宿町の風景・史跡  長崎市宿町

長崎を旅立つ人は、「西の箱根」と云われた難所の日見峠を越した。諫早・矢上方面から長崎へ向かう人はこの地で身づくろいをして、長崎へ入った。長崎街道往来の重要な中継所であった長崎市の日見地区は、市街近郊の住宅地などに変貌しているが、現在も街道はトンネルに姿を変え、国道34号と長崎自動車道がこの地区を通り、長崎の中心へ入る交通の玄関口となっている。

日見の散策(4)は、宿町の風景・史跡。宿町の続き。三国屋橋は、古写真に残る石橋風景の項を参照。 https://misakimichi.com/archives/1217

長崎街道日見宿跡、アーチ式石橋だった三国屋橋、橋名になった三国屋の跡地、田の地蔵様、八坂神社、観音堂、西川橋角の旧家、社会福祉法人平成会養護老人ホーム・日見やすらぎ荘(改装工事中)

日見地区公民館編「日見の史蹟等」2005年8月刊の40〜44頁による説明は次のとおり。

写真  7〜    32 田の地蔵様
三国屋橋の下流にある。大昔より田んぼの中に社があり乳が出る地蔵尊として多くの方々の願をかけ今日に至っている。…子安地蔵菩薩さまの石仏はお乳が立体的であり、乳飲み子を抱いた姿であるが顔は潰されてしまっている。地蔵菩薩、観音菩薩ともう一体何の変哲も無いと思われる石があるが言われは不明。猿田彦の石像もある。

写真  9〜    34 八坂神社(祇園神社・祇園社)
八坂神社バス停近く、観音堂の後ろ。明治以前は「祇園社」と称していたが、明治の神仏分離により、八坂神社となった。昭和37年(1962)の区画整理事業以前は、敷地は今の1.5倍はあった。昔は、三段に分かれ、川から石段を登って鳥居をくぐっていた。鳥居の奥に広場があった。一段上がって拝殿があり、今より奥にあった。現在、観音堂となっているところが一段高くなっていて本殿があった。

写真 11〜    35−1 観音堂
…このお堂に祀られている千手観音像は「行基ゆかりの7観音」といわれている。…建設省が行なう一般国道34号日見バイパス工事に伴い、汐見岳の千手観音堂(宿町163番地1)の移転と土地の売却を行なう必要が生じた。…平成14年(2002)2月現在地に移転竣工した。…

写真 12〜    35−2 地蔵堂
馬頭観音は、当初は弁財天のところにあり、近くの農家の人たちを中心に祀っていた。その後、千手観音堂の脇に移った。地蔵菩薩は、長崎大水害後新たに製作された。…バイパス工事に伴い観音堂と一緒に現在地へ移転した。