長崎の古写真考 目録番号:5242 高島二子島炭鉱前景

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5242 高島二子島炭鉱前景

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:5242 高島二子島炭鉱前景

■ 確認結果

高島は、長崎港から南西へ約14.5km。伊王島と端島(軍艦島)の中間にある島である。石炭の島として栄え、昭和61年(1986)に閉山した。
目録番号:5242「高島二子島炭鉱前景」は、「二子島」以外、説明が特にない。「二子島」とは、高島本島の南海岸にあった2つの小島である。手前のが「上二子島」、その先のが「下二子島」と呼ばれた。現在、大きな風車の高島風力発電装置が建っている所が「下二子島」である。
本島との間は広い埋め立て地となり、高島ふれあい多目的運動公園もできている。

高島の移り変わりは、高島港ターミナル近くの「石炭資料館」に、地図や古写真が展示されている。双方から判断すると、「下二子〜上二子間の埋め立て工事」は明治41年(1908)頃、完成が大正3年(1914)。高島本島と二子島が連絡道で結ばれたのが、大正9年(1920)となろう。

目録番号:5242「高島二子島炭鉱前景」の古写真は、「上二子島」の頂上あたりから「下二子島」を撮影していると思われる。
下二子〜上二子間の埋め立てが済み、「二子島炭坑」の広い操業場となった年代。右側の沖に浮かぶ2島は、「中ノ島」と「端島」(軍艦島)。左側は野母崎の半島で「権現山」が写る。

「上二子島」の頂上あたりまで、当時は建物がびっちり建っていた。石垣が残る。現在は完全に荒れて、途中の畑地としている所までしか登れない。
ここでは「下二子島」が写せない。やむなく高島本島側の空室がほとんど古い市営アパート8階の階段窓から、同じような景色を写してみた。