相生地獄坂「(聖?)徳太子上リ道」の標石 長崎市相生町
長崎は坂の街。高台にも家が密集し、各所に「地獄坂」と名をつけた坂が多くある。大浦地区の「相生地獄坂」は、石橋電停からジョイフルサンの角を行った奥左の急な坂段道。長崎グラバー園の最上部、第2ゲートへ出る。
少し離れた左側を「長崎グラバースカイロード」の斜高エレベータが上がる。同エレベータは、地獄坂のつらさを解消するためにもできたと思われる。
「相生地獄坂」の坂段登り口の左電柱脇に、写真のとおりの古い標石があった。正面は上がはげているが「(聖?)徳太子上リ道」、左面に「道路十坪 寄附者…」。
「(聖?)徳太子」の意味と場所がわからない。
この道はさらに上に上がると「鍋冠山」(標高169m)山頂に着く。東山手町「冠鍋山誠孝院」(昨日寄ったら、扁額の字は確かにひっくり返っていておもしろかった)から直接行かれる、最も近い道となるようである。この辺りも考えて、調べてみたい標石と思われる。
(追 記 平成20年12月27日)
広助氏のHP「広助の丸山歴史散歩」に、次のとおりあるので参照。
聖徳院跡(しょうとくいん-あと) 白石稲荷神社の北隣にある六角形の塔は聖徳院(六角塔)と呼ばれ、… 鍋冠山の由来は、東山手町にある冠鍋山誠孝院と関係が深く、江戸時代に山のふもとで日親上人(通称:鍋冠日親)の石像が発見したことによります。
「ほしなべ」氏のコメントにより、12月26日に鍋冠山の六角塔を訪ねた。脇に石塔があり、「聖徳殿建設記念碑」「大正十二年十月 報恩会」と確かに刻まれていた。