大浦天主堂  長崎市南山手町

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大浦天主堂  長崎市南山手町

長崎市南山手町にある国宝(国指定)・建造物の「大浦天主堂」
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

大浦天主堂  国宝(国指定)・建造物  

指定年月日 昭和28年3月31日  所在地 長崎市南山手町乙1
所有者 カトリック長崎大司教区
安政の開国後、長崎に渡来する多くの西洋人のために必要という理由で、幕府もその建立を認めざるを得なかったカトリック教会堂で、フランス人フューレ神父と、その志を継いだプチジャン神父の努力によって完成した。横浜に次ぐ天主堂であるが、横浜天主堂が関東大震災で焼失したため、現存日本最古の天主堂となった。
元治元年(1864)末竣工。献堂式は翌2年の正月24日(1865.2.19)。26人の殉教者に捧げられたもので、「日本26聖人殉教者天主堂」という。大小三つの塔を持つ不思議な外観であったが、手まぜとなったので、明治11〜12年、前後左右に増築し、外壁木造漆喰塗は煉瓦造へ、3廊式は5廊となって、外観も現在のように大きく変わった。この時、創建時の内部造作はそのまま保存取入れられたものと思われる。数少ない洋風の国宝建造物である。