長崎の外国人居留地跡標石(境石・地番標) (72)〜(76)
平成6年7月1日発行「長崎の碑(いしぶみ) 第2集」129〜142頁に、長崎市南公民館の研究グループ「どじょう会」が行った長崎の外国人居留地跡標石(境石・地番標)の調査結果が報告されている。 参 照 https://misakimichi.com/archives/1483
現地の主な標石には、長崎市教育委員会がその後、小さな陶板プレートを標石脇に埋め込んでいる。
これら標石の1つ1つを、現在の時点で再確認した。(72)〜(76)の標石は上の写真のとおり。
どじょう会の報告に表われていない境石・地番標とも思える標石も参考のため掲げる。
長崎市籠町の広馬場商店街通りの左右。前の「長崎信用金庫広馬場支店」やお茶「山口園」などの建物は解体され、駐車場となっている。このため、新たに6本の地番標が見つかった反面、2本が消失している。
一帯で確認できた新しい地番標は、次のとおり。位置図を参照。
標石? K 刻面「五番 六番」 寸法は、15×17×17cm。標石(73)の奥。同じ造り。
標石? L 刻面「六番 七番」 寸法は、15×17×30cm。標石(74)の奥。同じ造り。
標石? M 刻面不明、「拾三番」か? 寸法は、16×?×16cm。
標石? N 刻面「拾三番 十四番」 寸法は、15×17×33cm。
標石? O 刻面「拾(三番) 拾(貮番)」 寸法は、15×18×15cm。
標石? P 刻面「拾壹(番) 拾貮(番)」 寸法は、?×18×20cm。
標石 (72) 十善会病院前の森米穀店店先にある。くくりつけた後ろのが本物。自治会婦人部が昭和46年3月修復しているが、みっともない格好となっている。何とかならないか。
次を参照。ここのは郷土史家・故永島正一先生の、思い入れがある大切な標石である。先生は「松ヶ枝町の豆腐屋の角に一本、…それに諫早の小曽根さんの庭に一本、これは浪ノ平小学校門脇にあった…」ことも記されている。
https://misakimichi.com/archives/93
標石 (75) 前のお茶「山口園」左横。駐車場となり、道路側に見当たらない。中に「拾(三番) 拾(貮番)」と刻面が違うOの標石が残っていた。
標石 (76) 太陽堂菓子店左横。駐車場となっていたが、2年前に靴店が建った。両店とも覚えがない。駐車場にした際、これも消失したのではないか。