鎮鼎同窓会記念碑  長崎市浪の平町

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鎮鼎同窓会記念碑  長崎市浪の平町

国道449号線により戸町方面に向かい、浪の平交差点から左折して「長崎市南公民館」まで行く。公民館の横に老人福祉施設「つばき荘」が併設され、車道はカーブして南山手へ上がる。
「鎮鼎同窓会記念碑」は「つばき荘」の裏にあり、車道がカーブするところに入口の石段がある。碑面が車道側を向いていないため気付かないが、立派な大きな記念碑である。

長崎市南公民館やつばき荘の今の敷地は、明治初期に地元の実業家(貿易商・書家)小曽根乾堂により建てられた鎮鼎小学校(当初は小曽根小学校)の跡地である。
長崎市立浪の平小学校の前身となるが、浪の平小学校も学校統廃合により2007年3月に閉校。4月からは北大浦小学校・南大浦小学校と統合し長崎市立大浦小学校となっている。

岩永弘氏著「歴史散歩 長崎東南の史跡」2006年刊、90〜91頁による説明は次のとおり。
明治30年頃の同校舎の古写真は、HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベースから。

(2)鎮鼎同窓会記念碑 (南公民館右土手小庭内)

太平寺脇の坂段を上がり、上の道路に出ると100m先方に長崎市南公民館があります。この入り口の右庭に畳2枚程の大石の記念碑があり、鎮鼎同窓会昭和十年五月小曽根星堂書と刻してあります。浪の平小学校の前身は、明治11年(1878)小曽根乾堂が私費で建てた小曽根小学校で、明治20年(1887)校舎を新築して鎮鼎小学校と改称しました。そして背後の鍋冠山は別名鎮鼎山とも呼ばれました。

【鎮鼎:ちんてい】明治4年(1871)5月、日清修好条約の為、全権大使伊達宗城に書記として従った小曽根乾堂が天津で李鴻章に会い、篆刻を与え李鴻章からは鎮鼎山房の書をおくられたので、これをとって呼ばれたものです。