桜馬場天満神社の御神橋  長崎市桜馬場1丁目

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桜馬場天満神社の御神橋  長崎市桜馬場1丁目

長崎市新大工町商店街からシーボルト通りへ向かう。商店街を出た交差点のすぐ先の通りの左に鳥居があり、奥へ行くと「桜馬場天満神社」がある。
史跡の項も参照。御神橋の両側面は家が建てみ、構造確認ができない。暗渠は新大工市場前から入れるが、遠すぎる。

親柱に「大正十三年一月」の銘。御神牛の手前に「石橋改修費寄附連名」碑があった。
fwd−net長崎・諫早HP「石造アーチ橋以外の石橋たちを訪ねて」による説明は次のとおり。

第 k-025 番   桜馬場天満神社の御神橋        長崎市桜馬場1丁目
最初の架橋年は不明。大正13年1月改修  長さ m 幅員 m  スパン m
参道一杯で側面からの確認は困難。

桜馬場と言うより、大手橋からシーボルト通りを歩いて、左手。(05/22/2002)
【神社由来記から】
大生山宝生院威福寺の開山なる射福院高順に源を発する。慶長元年に早岐から長崎に至り、同12年に筋違橋の袂に小堂を構え天満宮の尊像を祀ったのが起源という。
【祭 神】 菅原道真公
【創 建】 慶長12(1607)年
【境内社】 稲荷神社、竃神社、出雲神社

御神牛は道真公の生まれ年の縁と、大変可愛がられた牛が、天満宮をお参りしたことから、天満宮のシンボルのようになっている。
大正6年建立の一の鳥居は、建立当時はこのあたりもスペースが充分あったのであろう。今では写真の通り。
となりのビルは鳥居に遠慮したのか、建物を引っ込めて建設されている。今はこうして近隣の方からも崇敬される天満神社も、創建当時は切支丹の時代。多くの迫害も受け一時は現在の八幡町に疎開もしたが、元和8(1621)年に長崎奉行の肝いりで現在地に敷地を与えたという。
それ以来、長崎街道の起点にあたるところから、多くの参拝者を擁した。