今屋敷の防火壁 対馬市厳原町今屋敷
厳原港から国道382号線により厳原の中央通りを行き、今屋敷の交差点から所在図の場所へ歩いて行くと、「今屋敷の防火壁」が見られる。
Aが県指定防火壁の場所で、案内標識と現地説明板がある。
Bの場所にも防火壁が残り、「嘉永二 酉三月日 町中 火切」(1849年)と刻んだ石があり、説明板がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」によるAの説明、及びAに設置されている現地説明板は次のとおり。
今屋敷の防火壁 県指定有形文化財・建造物
指定年月日 昭和61年1月10日 所在地 下県郡厳原町大字今屋敷705−1
所有者 海地浮久恵
この防火壁は、江戸時代につくられたものである。江戸時代、対馬藩の首都府中(現厳原町)は、しばしば大火に見舞われた。藩当局は種々その対策を講じたが、その一つとして天保12年(1841)以後防火壁をつくり、その延焼を防ごうとした。これら石垣によるものは全国的に類例が乏しく、貴重である。
しかし、今日これらは自然崩壊、ないし屋敷地の改造等に伴い破壊に瀕している。よってそのうちの一つで、最も当時の姿を伝え、かつ天保15年(1844)正月という築造年月の陰刻の見られる本防火壁を指定した。
今屋敷の防火壁
県指定文化財・建造物 昭和61年1月10日指定
石垣は対馬の名物であるが、火災の類焼を防ぐため、火切として高く築かれた石垣の防火壁が、昔の町割の線に沿って設けられた。現在残っているのは数箇所に過ぎないが、最も状況が良いのが本例である。
刻銘には、「天保十五年申辰正月 消防為 火切築え 高さ一丈三尺 根幅五尺」とある。石垣の全面に火に焙られた痕跡があり、府中(厳原)町屋の軒並を護った貴重な遺跡である。昔は江戸市中にも火切があったが、現在は跡形もなく消滅し、日本中で遺っているのは対馬の厳原だけという。 厳原町教育委員会