特攻基地牧島 ルイズ・ルピカールさんの記憶

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特攻基地牧島 ルイズ・ルピカールさんの記憶

日仏間混血少女が1937年来日、戦況により母の実家である長崎近郊戸石に横浜から疎開。特攻基地牧島について、貴重な記憶を本に記されている。
牧島の壕を掘っていた基地は「切宮岬」と具体的な地名を表わされていた。「切宮岬」とは、壕跡がある小浦先の外海に出る岬。字名は「虫山」らしい。

ルイズ・ルピカール著『ルイズが「正子」であった頃』未知谷2006年刊から、「特攻基地牧島」の関係部分は次のとおり。
牧島震洋基地跡の写真は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/5

特攻基地牧島

…折りしも、私が高等科を卒業し青年学校に進級した直後であった。最悪の戦況に「戦争は国民がする」と本土決戦態勢の強化が施行され、村の前面に浮かぶ周囲五キロの牧島に、川棚突撃第三特攻隊が四月十日に配備された。
配備されたものの兵舎とてなく、校舎の一部が隊員らの宿営舎となる。残る問題はお風呂である。…

さて、彼ら基地隊員の出現により、それまで国のためとは言え、銃後で間接にしか役に立っていない印象で田畑やその他の勤労奉仕に出ていたが、今度こそは、第一線において努める勢いで基地の戦闘準備の作業に直接従事するという充実感があった。作業とは、彼らが自爆艇を格納するべく横穴防空壕を掘ったさいの土砂を満載したトロッコを私たちが波打ち際まで押したり、モッコを担いたり、時おりダイナマイト棒を削る仕事であった。
また、毎朝、教官に引率されて牧島の切宮岬の防空壕掘りに行く二列縦隊(数えなかったが、約十二〜十五人?)の予科練が家の前を通っていた。…

それはさておき、私は特攻基地になってからには、牧島及び戸石が戦略上、一躍九州でもっとも重要な地点となったと真剣に受け取っていた。従って敵は間違いなく長崎半島と島原半島の間に挟まれている橘湾から、特攻基地の牧島と戸石を目標に上陸すると、固く信じていた。
やがて、敵が攻めて来れば、勇猛な彼らは海から自爆艇で敵艦隊を沈め、空からは神風特別攻撃隊が反撃する間、地上の私たちは上陸せんとする敵兵を手榴弾、竹やり、ナタ、鍬などありとあらゆる物を武器てして、敵撃滅! する、と闘魂に燃えていた。
その好機が来るまで、彼らはもっぱら海上で、初めて私たちが目にする緑色の自爆艇(<体当たり>)の訓練をしていたり、防空壕掘りに私たちと励んでいた。…