善納岩陰 諌早市湯野尾町
国道34号線の本野入口から富川渓谷への県道212号線へ入る。二股で右へ分れ、湯野尾川に沿って上流まで遡る。県営バス「棚掛」終点から橋を渡り、民家が点在する道を100mほど行くと、左側山手に「善納岩陰」入口の石段が見える。
板状割り石で積み上げた石段を、100段近く登る。大師堂が広場にあり、旧石器時代からの生活遺構は、この堂の右背後となる岩陰で見つかったらしい。
建物を奥に寄せて建ててるためわかりにくいが、裏手へ回り上を見上げると確かに格好な岩のひさしとなっていた。
近くの岩場の割れ目から今も水が流れ、里の給水に使われている。水場の左にも切り立った岩面は50mほど続いたが、この方は崩落がある。
入口手前の車道脇にシイの大木があり、根元に古い小さな石塔が散乱していた。
現地説明板は次のとおり。
市指定史跡 善納岩陰
人類が岩陰や洞穴で生活を営むようになったのは遠く旧石器時代に始まり、県内の遺跡では福井、泉福寺洞穴などが有名です。これらは今のところ県北地域に多いのですが、諫早北高地区で発見されたのは善納岩陰が初めてです。
この岩陰遺跡は湯の尾川右岸にあたりますが、標高は海抜260m位で南東に面して岩のひさしが出来ています。岩陰の奥行きは約2.8m、間口は約15mで、左側には生活に必要な豊富な湧水もあります。
出土遺物の代表的なものは押型文土器で、縄文時代早期に人間の生活が営なまれていたことを示しています。対岸の尾根には同じ縄文時代の開地遺跡(県指定川頭遺跡)があり、ここの岩陰遺跡と近接しています。
これらは先史時代のあり方を知るための貴重な資料で有ります。
昭和52年3月30日 諫早市教育委員会