川頭遺跡  諌早市湯野尾町

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川頭遺跡  諌早市湯野尾町

国道34号線の本野入口から富川渓谷への県道212号線へ入る。本野小学校が見え、この先にある県営バス「本野学校前」バス停から右折して、山手の高台を目指す。
「川頭(こうがしら)遺跡」は、五家原岳(標高1057.3m)の南側中腹、目代川と湯野尾川の間の尾根にある。

高台の広い農道に上がり、しばらく進むと川頭集落に出、やがて車道左斜面にロープにより囲んだ一角があり、ここが縄文時代の開地遺跡「川頭遺跡」である。
現地へ行っても、草に覆われ何も見られないが、湯野尾川谷間にある同じ縄文時代からの生活遺構「善納岩陰」との関連から訪ねてみた。同岩陰遺跡からも車道はある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

川頭(こうがしら)遺跡  県指定史跡

指定年月日 昭和50年1月7日 所在地 諌早市湯野尾町793−19 所有者 諌早市
縄文時代早期および中期の遺跡で、多良山塊の中腹標高約360mの地にある。
縄文時代中期の土壙墓1基が検出され、径0.8m、深さ0.6mの円形土壙の底面に数個の礫をおき、阿高式土器の大形片が検出された。早期の遺構としては、径3.5m程の円周上に柱穴7〜8箇が配置された平地住居2棟分が検出され、押形文土器、石鏃、石匙、凹石等が発見された。
これらのことから、従前不明瞭であった西北九州の縄文時代早期および中期の様相の一端が展開され、同時に多良・雲仙岳等の山嶽中腹域の遺跡に対する視点が整理されることになった。