西郷の板碑 諌早市西郷町
国道57号線により諫早総合運動公園前を行き、「栗面町」を過ぎると、次にタイヤ館がある「西小川町交差点」となる。
左折して埋津川の亀山橋を渡ると、すぐ左手に西郷町亀山市営住宅が一棟だけあり、住宅の川側広場へ回り込むと、中央に「西郷の板碑」がある。
奥の浄化槽隅に、墓碑など片付けられた一角もあり、今では住宅敷地内の史跡となっている。
板碑の下方にある紀年銘「建久元季才次庚戌十一月日」(1190年)は、最後が拡大写真。字の上図、②と③の間に陰刻している。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
西郷の板碑 有形民俗文化財(県指定)
指定年月日 昭和46年09月14日 所在地 諌早市西郷町148−1 所有者 諌早市
板碑は供養塔の一つとして鎌倉時代から南北朝時代にかけて主として関東地方に盛んに建立されたものである。この板碑は、高さ2m、幅1.2m、厚さ75cmで砂岩の自然石の板石塔婆である。板石上方の径75cmの月輪の中に五点具足の図①(ア)の誤字、右下の径35cmの月輪の中に図②(カーン)の誤字、左下の径35cmの月輪の中に図③(パイ)をいずれも刷毛書きの種子(しゅし)を双鉤字(かごうつし)に線刻してある。
上が胎蔵界大日如来、右下が不動明王、左下が毘沙門天に三尊にあてるとすれば、天台宗の三尊形式に例もかなりある。下方に「建久元季才次庚戌十一月日(1190)」と陰刻してある。県下の石造物の紀年銘のうち、最古のものとみられている。