小ヶ倉ダム−出雲浄水場間の導水トンネル
第1次世界大戦後、周辺地区人口の都市集中化から水の需要は日増しに増大していった。第2次拡張事業は、1920年(大正9)10月に起工、1926年(大正15)に完成した。主要工事が、小ヶ倉ダムと出雲浄水場である。
小ヶ倉ダムは、当時、長崎市のダムのうちで最大のもの。ダムの水を出雲町高台に建設した出雲浄水場へ、星取山下をくぐり抜いた導水トンネルによって導き、これまで水に不自由していた高台地区へも給水を可能にしたのである。
「長崎水道百年史」長崎市水道局1992年刊216〜217頁の第2回拡張工事竣工概要による導水トンネルの説明は次のとおり。
第5章 大正時代の水道 第3節 第2回拡張事業
接 合 井
導水管(径18吋)と導水路との接合点に設置され長12尺(3.64m)×幅6尺(1.82m)の泥凝土造り楕円形池を築造する。導水路は開渠、接合井と出雲町浄水場間は山腹に開削した隧道内に開渠を設け水路には石蓋をかける。
隧道は高7尺(2.12m)×幅7尺(2.12m)アーチの半径3.5尺(1.06m)導水路の総延長4.138尺(1,254m)余内隧道延長3,816尺(1,156.37m余)
水路断面幅2尺(0.6m)×水深1.2尺(0.36m)勾配3,000分之1の水路底標高228.9尺(69.36m)
出雲浄水場は、昭和62年小ヶ倉浄水場が新しく完成したことによって吸収され、廃止された。現在は空き地となり、一部が地元のゲートボール場として利用されている。
現地は、石橋から出雲通りに入り、桐ノ木保育所へ向かうとその上となる。出雲高台の県道237号線なら長崎霊園のちょうど下となる。現在は県道から下る道を新設中であった。今のところは歩いて行くしかない。
浄水場建設もこの導水トンネルにレールを敷き、小ヶ倉ダム側から材料運搬したのではないだろうか。人が通れたトンネルのようだ。
出雲浄水場のトンネル出口の写真は、ほしなべ氏のブログ版「長崎遠めがね」に掲載がある。
http://blogs.yahoo.co.jp/hoshinabedon/3618580.html
ところで、小ヶ倉ダム側の導水トンネル入口。同氏の他HPにコメントあり。記憶ある人がダムの堰堤そばとコメントしていた。しかし、現地へ行っても見当たらず、小ヶ倉浄水場の人に聞いた。
トンネルの場所は、浄水場正門から左へ登る車道を行く。最初の住宅手前にフェンスに囲まれた一角(上戸町4丁目6街区)がある。ガス管の埋設施設で立入禁止となっている。
この裏手の崖面がかってのトンネル入口である。水道局のフェンスがあり、施錠している。トンネル上部に付いている銘板「玉聾珊然」は、垂れ下がった蔦のためよく字を確認できないのは残念だった。(施設の銘板全般は後項)
出雲浄水場跡で感じたのは、対となった赤煉瓦造門の中の配管がゴォーゴォー音をたてていた。小ヶ倉浄水場で浄水した水を今も導水トンネルを使って送り、配水に利用していると思われる。