戸町岳の天明藩境塚めぐり 2013年12月
2013年12月8日(日)快晴。戸町岳(標高427.2m)の天明藩境塚めぐり。参加6人。みさき道歩会の例会。佐嘉領小ヶ倉村と大村領戸町村の藩境紛争が、天明七年(1787)解決し築いた藩境石塚を訪ねる。
鹿尾ダム公園9:36—海星学園グランド尾根9:48—戸町岳登山道出合10:54—戸町岳
11:50(昼食)12:50—大山林道13:25—大山カトリック教会13:44—鹿尾ダム公園14:
41(徒歩距離 約9km)
2013年10月20日(日)の大久保山(標高233.7m)の藩境石塚めぐりは、次を参照。
https://misakimichi.com/archives/3790
大久保山の藩境石塚に続き、その延長で今回は、戸町岳の尾根道に残る藩境塚を訪ねる。
大山入口バス停から入った鹿尾ダム公園に集合。橋を渡って西海建設の道路工事現場からすぐ上の尾根に取り付く。右下が海星学園グランドとなるところである。
藩境塚が尾根にはすぐ目につき、2つのピークを越して行く。この区間の塚の存在は、ほとんど知られていない。
やがて、戸町中学校前から上がった竹林の戸町岳登山道と出合う。藩境塚は登山道になおも続く。はっきりしたものは、T型金具に「天明藩境塚」と表示し、ブロック区分と連番号を付していたが、もう6年近く経過した。金具が引き抜かれたり、所在不明となっていたものがあった。
戸町岳山頂まで行って昼食。12月としては、きょうはポカポカ陽気で風もなく、展望が効いた。藩境塚は熊ヶ岳分岐まで続いているが、その縦走は行わず、戸町岳から同じ道を少し戻り、大山林道の小ヶ倉水源池地下隧道がある取水口へ下った。付近で大正二年三月「長崎県模範林」の標柱を発見。
大山カトリック教会に寄ると、クリスマス飾り準備中。教会下の里道には、長崎市立小ヶ倉小学校大山分校跡地があった。
「大久保山から戸町岳に残る天明藩境石塚の調査」は、本ブログ2007年7月記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/85
HP「キリシタンの里をたずねて—長崎の教会」による大山教会の紹介は、次のとおり。
大山教会の紹介<絶えざる御助けの聖母>
(1)現 勢(小教区内数)
世 帯 数 74世帯 信者総数 341人
(2)沿 革
この地の信徒は、嘉永年間、外海の黒崎地区からの迫害を避けて逃れてきたキリシタンの子孫で、明治4年(1871)配流のため佐賀送りとなり、明治6年(1873)太政官達により信仰の自由を勝ち取った信徒たちが、明治29年(1896)、建立した最初の大山教会も老朽化が激しく、昭和27年(1952)改築。5月25日山口大司教のてによって献堂・祝別された。その後、平成6年(1994)6月26日、42年ぶりに島本大司教司式により、教会堂の祝別・落成式が行われた。
当日は歴代のの主任司祭や大山出身のシスターをはじめ、各方面からも大勢の信徒が詰めかけ、新たな歴史の1ページをともに喜び合った。(記事の一部は1994年のカトリック教報を抜粋)
(3)特 色
町内に住む者総てがカトリック信者で、1つの家族のような雰囲気を持ち、住民の9割が大山姓を名乗っている。
(4)区域内修道院
*お告げのマリア修道会大山修道院