長崎の古写真考 長崎さるく 31頁 鍋冠山からの長崎港

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎さるく 31頁 鍋冠山からの長崎港

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

もうひとつの長崎さるく 豊かな景観と育んだ歴史的個性
31頁 鍋冠山からの長崎港

目録番号:1288 鍋冠山からの長崎港
〔画像解説〕    超高精細画像
鍋冠山から大浦居留地、出島から長崎湾奥方向の北部をみた鳥瞰写真である。左下の大浦川に、慶応元年(1865)6月に架設された弁天橋がすでにあるが、明治2年(1869)2月に出島から築町、築町から新地にかけて、出島新橋、新大橋がまだ架かっていない。このことから、この写真の撮影時期は、慶応元年(1865)から明治元年(1868)の間である。この写真の特徴は、大浦外国人居留地、出島、長崎市街地の北部、対岸の飽の浦から稲佐地区、さらに長崎湾奥の浦上新田、これらの長崎湾の地形全体が撮影されていることである。大浦居留地は万延元年(1860)に埋め立てられたが、それ以外の地域は、ほぼ江戸時代のままの姿であるために、浦上新田が干拓された享保15年(1730)頃まで遡り、江戸時代中期の長崎の地形が現実感を持って見ることのできる写真である。鮮明な写真であるために、大浦外国人居留地や出島全域を拡大して見ることができる。

■ 確認結果

谷村賢治・杉山和一・渡辺貴史氏著「もうひとつの長崎さるく 豊かな景観と育んだ歴史的個性」晃洋書房2011年11月発行の31頁に掲載された「鍋冠山からの長崎港」の新旧対比写真。長崎大学データベースでは、目録番号:1288「鍋冠山からの長崎港」の古写真である。

著者は、いずれも長崎大学大学院水産・環境総合科学研究科の教授ら。目録番号:1288「鍋冠山からの長崎港」の撮影地は、「鍋冠山」ではない。「星取山」からでないと、稲佐山と岩屋山の稜線が合わないし、大浦川の河口がこのように斜めに写らない。
新旧対比写真を掲げながら、教授らはなぜ撮影地の間違いに気付かないのだろうか。

F.ベアト撮影のこの作品は、多くの出版物に利用されている。長崎大学附属図書館が間違った解説の写真を、いつまでもそのまま提供するので、出版物はすべて誤っている。
この項は、本ブログ次の記事を参照。以前から何度となく指摘している。
https://misakimichi.com/archives/2832
https://misakimichi.com/archives/3107

間違いを指摘しても、一向に訂正しない長崎大学附属図書館の体制は問題が多い。現地確認を早急にお願いしたい。利用者や出版社にとっては、ひどく迷惑である。
一方、目録番号:4878「ドンの山(から)見た大浦居留地・出島」も同じ写真。なぜこれも「ドンの山」からとなるのか。「星取山」からが正しい。
現在の写真は、上が星取山山頂近くの墓苑から、下が鍋冠山展望台から。