長崎名勝図絵の風景 40 半 片 山(福 田 洞)
「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)
本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
福田洞は古写真考の次記事も参照。 https://misakimichi.com/archives/1933
長崎名勝図絵 巻之三 西邊之部
240 半 片 山 (文献叢書 217〜219頁 所在地 長崎市福田本町)
福田洞 長崎の西南三里余、大村領との境、福田浦の前にある。山が半分削れたように、絶壁となっている。山頂に一株の松があって、風致をなす。下に洞穴が五つある。皆南に向いているが、一つだけ北に向いているのがあって、これは小舟で這入れる位の広さがある。洞門のところで、海水がはっきり区切られたようになっていて、中は青々と澄んでおり、塵一本も浮いてなく、又濁ることもない。洞の奥は深くて、誰も極めた者がいない。時津の近くまで達しているとか、龍が棲んでいるとかいわれている。一度大村の人が、探検のために炬火を持って、中に這入ったが、暫く行くとどこからか風が吹いて、火を消された。それで火をつけて更に進み、数十歩行くと、又もや風のために吹消され、これを三四回繰返えして、まだ奥に達しないので、遂に断念したそうである。この洞の中で、時に鳴動があり、その声が遠く長崎の街まで聞こえる。鳴動すれば三日を出でずに、風雨があると信じられている。だから漁師はそれで天候を判断した。とに角一つの変った名所である。