長崎外の古写真考 目録番号:4134 神戸全景(4)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4134 神戸全景(4)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4134 神戸全景(4)
〔画像解説〕  超高精細画像
現在の新神戸駅の南西高台から神戸市街を望む。明治中期。中央の道路は生田川の川筋を埋め立てて造成され、工事を請け負った和歌山出身の加納宗七(かのうそうしち)にちなんで、明治6年(1873)右(西)側が加納町と名付けられた。現在の新神戸駅から、フラワーロードを経て税関に至るこの道路は、古くから都の貴族や文人墨客が来訪した名所・布引(ぬのびき)の滝に続くので、滝道(たきみち)と呼ばれた。道の両側にはまだ家屋があまり建っていない。左手向こうに見える細長い松林は、居留地の東の境界・旧生田川の土手の名残で、外国人のレクレーション・グランド(現東遊園地)になっていた。このグランドでは、クリケットやフットボール、ローンテニスなどが行われ、外国人たちのスポーツと娯楽、社交の大切な場であった。開港して20年あまりが過ぎ、道路が新しく開かれ整備されていく状況がよくわかる。手前に見える端正な洋風建築はホテルであろう。

■ 確認結果

目録番号:4134「神戸全景(4)」は、同じ写真がHP「OLD PHOTO of JAPAN」に掲載されている。〔撮影者:玉村康三郎〕であろう。同説明は次のとおり。

撮影者: 玉村康三郎
発行元: 玉村康三郎
メディア: 鶏卵紙
写真番号: 70219-0028
1880年代の神戸 • 山手からの眺め</a>
神戸を、現在の新神戸駅に近い山側から撮った写真。中央に見える広い道路は滝道(今はフラワーロード)である。この道は、この写真を撮った場所から少し歩いた所にある布引の滝に通じているので、そう呼ばれていた。この道は、1871年(明治4年)に外国人居留地を水害から守るために付け替えられた、旧生田川の川床に沿っている。この写真が撮られた時は、神戸の町ができて未だ20年ほどしか経っていないが、既に主要な港町に発展しており、外国人も1,000以上住んでいた。その4分の3は中国人だった。