長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 168 田子ノ浦沼川からの富士山(2) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号: 168 田子ノ浦沼川からの富士山(2)
〔画像解説〕
田子の浦より見た富士山。現在の沼川、鈴川付近の橋。人力車と旅人を眺める人物は舟の船頭か。舟は比較的大きな和船で荷船であったと考えられる。
目録番号:1220 田子ノ浦沼川からの富士山(10)
〔画像解説〕
静岡県東部、駿河湾奧にある田子ノ浦橋と富士山。左端には3隻ほどの荷船も見える。万葉の歌人山部赤人が、歌枕に読み込んだ地としてあまりにも有名である。
■ 確認結果
田子ノ浦から富士山を写した作品は多い中、目録番号: 168「田子ノ浦沼川からの富士山(2)」だけ、「現在の沼川、鈴川付近の橋」と画像解説している。
鈴川付近の有名な橋「河合橋」ではない。
鈴川の「河合橋」は、 https://misakimichi.com/archives/2289
次の目録番号:1220「田子ノ浦沼川からの富士山(10)」のとおり、この橋は、「田子ノ浦港(昔の吉原湊)手前の便道に架かっていた田子ノ浦橋(明治6年架橋)」である。
この点は、次HPが指摘しているので参照。
画廊アモン Sideway 古写真2 http://yass.m78.com/sideway/hakone/koshyashin2.html
上段の写真はお気に入りの1枚で、田子の浦からの富士山です。写真の説明には「現在の沼川、鈴川付近の橋」とあったので地図で調べたところ、富士山の方向に流れがあるのは和田川との合流後のわずかな区間だけでした。もし私の考えが正しいのなら、写っている上流部は和田川であり、すぐ先には左富士神社が有る筈です。下段の写真は、富士と港の見える公園から田子の浦港を写したものです。左端に写っているループ陸橋の辺りが古写真右側の松林だったのではないかと思っています。本来なら正面に富士山が写っている筈ですが、ご覧の様に雲に覆われてしまいました。
田子の浦から見る富士山(晴れた写真) http://mohsho.image.coocan.jp/tagonourafuji03.html
「富士と港の見える公園」から見た午後の富士山、2008年1月25日
「山頂は左端で尖り)、宝永山が右稜線に」が確認できる。
2枚目の目録番号:1220「田子ノ浦沼川からの富士山(10)」は、1886年にA.ファサリが撮影した写真である。 http://mini1000.posterous.com/1880-gigazine
同上末尾の出典 Japon 1886 – Adolfo Farsari – a set on Flickr をクリックすると、A.ファサリによる1880年代の日本のさまざまな彩色写真を見ることができる。